映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優としても活躍する舞踊家の田中泯が、『メゾン・ド・ヒミコ』の台本を読んで気づき、仕事を選択する基準が変わったことについて語った言葉をお届けする。
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舞踊家・田中泯は二〇〇二年に映画『たそがれ清兵衛』に出演して以降、役者としても活躍するようになる。二〇〇五年の『メゾン・ド・ヒミコ』ではゲイの老人役を演じた。
「『たそがれ清兵衛』に出演してから、似たような仕事の依頼が結構来たんです。でも、全て断りました。そんな時に『メゾン・ド・ヒミコ』の台本を送っていただき、読んだら面白かった。
その時に気づいたことがあります。それは、人間にはちょっとした違いで『もしかしたら、ああなっていたかもしれない』という『もう一つの可能性としての自分』もいるのではないかということです。
たとえば江戸川乱歩が『私は生まれた時から、私という群れの中の一人でしかない』と言っているように、あるいは寺山修司が『寺山修司という職業を私は生きている』と言っているように、私もまた『他にたくさんいるかもしれない私』の中の一人を今やっているだけではないか。そして、この台本を読んだ時に、『私はこの人を知っている。自分自身の可能性の一つではないか』と思えたんです。
それから仕事を選択する基準が変わりました。『別のタイミングで生まれていたら、こんな人になっていたかもしれない』『この人に生まれてきてたらどうだったろう』と芝居を通じて考える楽しみが出てきたんです。
そして、『この人は踊りの中に現れるかもしれない』と思うようになることで、凄く脱皮することができました」
二〇〇七年のNHKドラマ『ハゲタカ』での職人役、二〇一〇年の大河ドラマ『龍馬伝』の土佐藩執政・吉田東洋役。いずれも大友啓史演出の作品でインパクトの強い芝居を見せた。