三陸海岸に面する岩手県宮古市。その津軽石川近くに、園児54人が通う宮古市立津軽石保育所があった。2011年3月11日、14時46分。
それはちょうど、子供たちの昼寝の時間が終わる直前のことだった。ゴーッという地響きとともに体を突き上げるような揺れが園舎を襲った。寝ていた子供たちは悲鳴をあげて飛び起きる。「地震だ!」。
尋常ではない激震。横揺れがさらに激しさを増し、波打つ床に体が揺さぶられる。このとき、所長の坂本静枝さん(66才)は即座に判断した。
「津波がくる。急いで山へ!」
この2日前の3月9日も、宮古市ではマグニチュード7.3、震度5弱の地震が発生していた。ところが心配された津波は数十cm。被害もなく報道も途絶え、「またいつもの地震」と誰もがそう思っていた。
だが坂本さんが気になっていたのは9日の地震で見た海の引き波。嫌な予感が頭から離れなかった。
「1週間は注意しようと思いました。そこで、普段お昼寝のときは寝間着に着替えさせて寝かせるのが保育所の方針ですが、子供が各々にすぐ逃げられるよう衣服を着せたまま寝かせていたんです。外気温はマイナス。もしあのとき寝間着だったら、子供の着替えに翻弄され間に合わなかったかもしれません」(坂本さん)
過去何度も大津波(明治29年、明治三陸地震による津波は、高さ30mを超す大津波。昭和8年、昭和三陸地震では、約29mの津波が押し寄せた)に見舞われた三陸沿岸地域には「命てんでんこ(命は各々で)」という考えが浸透している。
「命てんでんこ」は、たとえ幼い子供であろうが、人に頼らず“自分のことは自分で守る”という自己防災。大人がいなくても、子供たちが自らの判断で逃げられる訓練を重ねてきた。