2011年3月11日に発生した東日本大震災。死者1万5893人、行方不明者2553人(2017年3月10日時点)という甚大な被害を出した。
岩手県北東部にある人口約1万7000人の洋野町。ここは震災で被害が大きかった岩手、宮城、福島3県の沿岸地域で、唯一、死者・行方不明がゼロだった町だ。過去の津波被害の教訓から、防災の意識が高い町民が多かったのが要因といわれている。
洋野町では明治三陸大津波で254人、昭和三陸津波で107人もの犠牲者を出した。その多くは八木地区の住民。にもかかわらず、当地区には町内で唯一、防潮堤がなく、人的防災に頼った。
訓練で「逃げる」ことを徹底。避難誘導などを行い各地で犠牲者が出た消防団も「死んでしまえば、その後の活動もできなくなる。とにかく逃げよう」と、任務終了後は迅速な避難を徹底づけた。
さらに地域住民が自主的に連携して防災活動を行う「自主防災組織」の活動が住民たちの意識を高めることになった。
「主な活動は防災マップ作りや災害時の避難誘導、安否確認、避難所運営。地域ぐるみで行う防災活動は被害を最小限にとどめ、スムーズな復旧活動にも役立ちました。いざというとき協力し合えるよう、日頃から挨拶を第一に住民同士の交流を深め、災害に強い地域作りを目指してきました」と、町防災アドバイザーの庭野和義さん(66才)は言う。
自主防災組織の活動の1つに、避難路の掃除がある。
「地域住民が散歩がてら、高台に登る坂道の草刈りや除雪を行います。これにより、逃げる道筋を頭に焼きつけることができ、実際の避難でも大いに役立ちました。組織には全戸が加入し、顔が見える関係を構築したことも生かされたと思います」(庭野さん)
また、防潮堤がないことの危機感によって、逆に逃げることへの意識も高まった。
「八木地区では昔から震度3でも避難する風潮がありました。結果、東日本大震災で犠牲者どころかケガ人すら出さなかった。誇らしいことです」
現在一部で防潮堤の建設がスタート。だが、住民の命を守った八木地区の自主防災活動は今でも健在だ。「3.11洋野町の奇跡」と呼ばれ、防災のモデルケースとして注目されている。
※女性セブン2018年3月22日号