国会では、安倍首相の責任問題や、麻生財務相の進退など、喧しく騒々しい事態が起きているが、その話の前に、1人の男性の人生に触れたい。青山久志さん(仮名)だ。
岡山県の自然豊かなある町で生まれ育った青山さんは、地元の高校を卒業すると国鉄に入社。日本がバブル経済に向かっていた頃だ。経理部門の仕事をしながら、私立大学の夜間学部に通って勉強を続けて卒業。誰もが認める努力家だった。
口癖は「もうええがなァ」。兄弟や友人がヘマをして迷惑をかけられても、いつも、まァ、もうええがなァ、と笑って許した。きまって友人の悩み事や身の上相談の聞き役だった。自分の弱音を吐くタイプではない。小柄だが、背筋がピンと伸びていて、歩くのが速くて、明るくてハキハキした性格だった。
青山さんは1987年に国鉄が解体して民営化されると、大蔵省の中途採用試験を受けて合格した。ノンキャリアの公務員として、関西にある地方局だけでなく、東京・霞が関の本省で働いたこともある。
「本省は残業が多くて大変やけど、いろんなところで働いて勉強になったこともある」と笑顔で家族に語っていた。20代で結婚した同郷の妻とふたり暮らしで、子供はいなかった。結婚前は外食が好きだった青山さんが「家でご飯を食べるのがいちばん好き」というほど、妻は料理上手だ。
趣味は書道。師匠に学んだ有段者で、書道家としての「雅号」も持つ。中国まで行って筆を買ってきたこともあった。
建築家の安藤忠雄氏の熱心なファンでもあった。およそ15年前、兵庫県神戸市にある安藤氏デザインのマンションに空室が出ると、迷わず購入して引っ越した。住民の集まりにもよく顔を出す評判のいい夫婦。青山さんと同時期にマンションの管理組合の役員を務めた住民が語る。
「青山さんは活発に意見を言うかたでした。とてもオシャレで、デザイナーとか建築家とか、そういう職業だと思っていました。聡明で、自分のことよりもまず、“住民の和を保つためにはどうしたらいいか”を真剣に考えているかたでしたね」
青山さん夫婦は、近隣住民とは毎年、バレンタインデーのチョコレートを交換していた。今年の2月14日も、妻が近所にチョコを届けた。
──3月7日の夕刻。近所の学校の生徒たちが帰宅する時間帯のことだった。マンションの前に救急車が止まった。救急隊員が青山さんの部屋に入っていき、ストレッチャーに乗せた青山さんに人工呼吸と心臓マッサージをしながら、急いで病院に運んだ。しかし、青山さんは帰らぬ人となった。働き盛りの54才だった。
10日午前10時、岡山県の山中にある斎場。火葬炉があるだけの小さな施設で、妻が棺に向かって泣き崩れていた。