2月下旬に複数の首都圏鉄道で女性専用車両に反対する男性たちが女性専用車両に乗り込み、降ろそうとする女性客や駅員とトラブルになる事件が相次いだ。わが国の女性専用車両はすでに定着したかに見えたが、トラブルの火種は消えていないようだ。“組織学者”として知られる同志社大学政策学部教授の太田肇氏が、改めて女性専用車両の「正義」を問う。
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首都圏にかぎらず、私鉄でも公営の地下鉄でも女性専用車両の設置は進んでいる。専用車両のおかげで女性が快適に、安心して乗車できるようになった。そして大半の男性もそれを抵抗なく受け入れている。
しかし、公然と「痴漢被害を防ぐため」と口にしたとたん、火種がくすぶりだす。
そもそも特定車両だけを「女性専用」にしたからといって、痴漢の被害をなくせるわけではない。とりわけラッシュ時などは、混み合った普通車両に乗車する人たちが痴漢に遭う危険にさらされている。痴漢の被害に遭いたくなかったら女性専用車両に乗れ、というような意識をもたれたら女性にとっても迷惑だ。
そして、より本質的な問題は女性専用車両からの男性排除を社会が正当化することによって、男女差別をなくそうという社会運動が理論的根拠を失い、せっかく積み重ねてきた男女平等、男女共同参画推進の努力に水を差すのではないかということだ。
なぜなら、「男性は痴漢をする可能性が高いから乗せない」というのは、「女性は早期に退職する可能性が高いから責任ある仕事を与えない」というのと基本的に同じ理屈であり、「統計的差別の論理」そのものだからである。
当然ながら「女性は早期に退職する」と決めつけられないのと同様に、「男性は痴漢をする」と決めつけられない。実際、痴漢をする男性はごく、ごく一握りである。だからこそ、統計的根拠があるからといって差別することは許されないのである。長い歴史のなかで血のにじむような努力によって解消され、あるいは解消されつつある数々の不条理な差別は、その多くが「統計的差別の論理」に基づくものだということを忘れてはならない。
付け加えるなら、それは別の問題にも波及する。「男性は痴漢をするかもしれない」という、男性に対する一種のラベリング(レッテル貼り)や、強引な男性客排除が男性一般の感情的な反発を買い、男女一体となって痴漢をなくそうという機運を鈍らせるのではないかと懸念されるのだ。
いうまでもなく痴漢から女性を守ったり、痴漢をつかまえたりするためには男性の積極的な協力が欠かせない。その意味でも、ラベリングにより男性の尊厳を傷つけることは得策ではなかろう。