83才の認知症の母の介護を担うことになったN記者(54才・女性)。日々様々なできごとが起こるが、特に注意が必要なのは高齢者の転倒だと気付いたという。
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「お母様ですが、今朝、お薬の援助にうかがいましたところ、どうも転倒されたようです。ええ、どうやら昨日、転ばれたようでして…」
母が住むサ高住(サ高住サービス付き高齢者向け住宅)の中にある介護事業所から電話がかかってきた。頬にすり傷、額にタンコブ、散歩中に転倒したらしいという。
ということは、頭を打っているじゃないか! しかもひと晩も経過している。
事務所の担当者は、「ご本人はお元気ですが、頭を打った可能性があるので、検査はした方がいいと思いますが、今すぐでなくてもよいような気がしなくもありません」と、まどろっこしい! 逆に不安になって母に電話した。
「あらNちゃん、久しぶり。え? 私、転んだの? あら、顔がすりむけてるわ。そうそう、転んだら近所の奥さんが助けてくれてね…」と、一昨日通院で会ったことはすっかり記憶になく、昨日の転倒については得意の“作話(さくわ=認知症の症状の1つ。記憶障害のため、妄想と事実が混在する)”が始まった。
転んだ状況の事実確認は難しいが、ボケ具合がいつもと変わりなく、機嫌も上々。うーん、これを大丈夫と見ていいのか。少なくとも救急ではなく、検査のできる病院に片っ端から電話すると、外来受付は午前中に終わっていた。
そうだ! 在宅で義母を介護していた友人、なとみみわさんがよく、「ばあさんが転んだ!」と血相を変えていたことを思い出し、即、相談した。
なとみさんは、「顔面流血したときはさすがに救急車を呼んだけど、他の時は様子を見て翌日に病院へ連れて行った」とのこと。それで事なきを得ていたという。実は私はその日、仕事の締め切りを抱えていた。母のもとへ明日行くことにすれば、塩梅がいい。「でも…これが運命の分かれ道だったりして」と、頭の中で惨事に至る妄想が展開したが、結局、仕事をこなした。
“転倒”というキーワードは、親が高齢ならピンとくる。介護度が高くなる因子の1つで命にもかかわるからだ。それはよく知っているが、母の場合、認知症がありながら、生活にまだまだ意欲があり健脚。安全第一の“守りの介護”より、生きる喜びを追い求める“攻め”の姿勢だと、今は思っている。が、こういうことがあると、やはり足がすくむ。
翌朝、母を訪ね、病院の外来に並んだ。頬の傷はかさぶたになり、膝が少し痛むと言うが元気に歩いている。「転んだときね、通行人の男性が抱き起してくれてね、車で家まで送ってくれたの」と、話が新章を迎えていた。認知症の母の頭の中は、どんなに勉強しても神秘に満ちている。
午前中の脳神経外科前は大変な混みようで、高齢者と中年の同伴者のペアの多いこと。この同伴者の何人が私と同じ不安におびえているのだろう。検査の結果、骨折も脳の異常もなかった。心底安堵した。
「でも、頭を打っていると、あとからジワジワ血腫ができることがありますから、ここ2か月くらいは注意してください」と、医師。渡された紙には「慢性硬膜下血種」の説明と、頭痛、吐き気、麻痺、言語障害など、すぐ受診すべき症状が書かれていた。
慢性硬膜下血腫。また1つ、キーワードが増えた。
※女性セブン2018年3月29日・4月5日号