その昔、「日本は政治は三流だが、官僚が一流だからもっている」と言われた。麻生副総理の仲人を務めた財界人、桜田武・元日経連会長(故人)の言葉である。とくに「官僚の中の官僚」と呼ばれた大蔵官僚(現在の財務官僚)は、われわれこそが天下国家を動かしているという矜持で政治家を見下していた。だが、政治家に人事権を握られた途端、官僚は公僕たる矜持も尊大さも投げ捨て、「三流政治家」の意向を忖度して働く下僕に変貌した。
政治が官僚人事を握るという“最強手”がなければ、官僚による国益に名を借りた不正や、国益に便乗した醜聞は次々と起きる。それは刑事事件にも発展した数々の官僚汚職・不祥事が証明しているといえる。だからこそ国民も「政治主導」を求めた。
だが、内閣人事局の設置により、「官僚が政治家のために犯罪に手を染める」という新たな腐敗構造が生じた。自民党大蔵族に言わせれば、「小役人がやるような文書偽造という、大それた悪事」である。
しかし問題は、内閣人事局制度にあるわけではない。内閣人事局構想は、橋本龍太郎内閣の省庁再編(2001年)以来、政治家が挑んでは頓挫してきた歴史がある。
2009年の民主党政権発足時には、民主党の大臣たちが財務省や厚労省に乗り込み、政治主導の断行を目指したが、徒手空拳の「三流の政治家」は「一流の官僚」の反抗に屈し、あるいは簡単に籠絡された。醜態を野党の立場で見ていた自民党は、こう考えた。
「三流の政治家が官僚を支配するには、官僚を“四流”にしてしまえばいい」