【著者に訊け】岩楯幸雄さん/『幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!』/左右社/1350円
【本の内容】
〈閉店のお知らせのポスターを店舗に貼りだしたところ、思っていた以上の反響がありました。驚いた。残念だ。続けてくれ。何とかならないか。少しならお金は出す。これらの言葉がこれからの人生にどれほどのはげましになるでしょう〉。閉店のニュースが新聞にも大きく報じられるなど、「街の書店」として知られた存在だった幸福書房。本や雑誌が飛ぶように売れた時代から、働いても働いても赤字になった近年のことまで、本とともに生きた40年間を振り返る。
2月20日、東京・代々木上原の幸福書房が閉店する日の夜、店の前の道路は人であふれかえった。書店をずっと応援してきた近所に住む作家の林真理子さんが涙をこらえ閉店を惜しむスピーチをした。
「思いもよらない大勢のかたがいらして閉店を惜しんでくださって。最後の最後まで、幸福な本屋だったなと思います」
著者である岩楯幸雄さんは弟の敏夫さんと2人で書店を始めてからの40年間を本にした。幸福書房で先行発売したところ、閉店までの6日間で1250冊も売れたそうだ。
書店員になる前のサラリーマン時代、岩楯さんは通勤電車の中で小説誌3誌を読破する小説好きだった。20坪ほどの小さな店内で平積みできるスペースは限られているが、これはと思う本は2冊ずつ棚に挿し、さりげなく目立たせてきた。
人文書も充実、林さんは「ドイツ近代史の本が充実していた」とエッセイに書いていた。
「その分野は、マリコさんが手に取るんじゃないかな、と思って仕入れていたんです。多くのかたが『なぜかほしい本が見つかる』と言ってくださったのは、たぶん、私らがそのお客さんの顔を浮かべて1冊1冊仕入れていたからじゃないかと思います」
年中無休で朝8時から夜11時まで店を開けていた。岩楯さんと弟さんは顔がよく似ているので、同じ人がずっと店番をしていると思われることもあったという。
「こないだ中学生ぐらいの女の子に『本屋さんでいちばん大事なことは何ですか』って聞かれて、『ここに一年中座っていることが大事なんだよ』って答えたんです」
なじみ深い幸福書房でなら、子供たちは気軽にトイレを借り、電話を借りられた。街の大切な場所だった書店との別れを惜しむ人は多いが、この2、3年、雑誌の売れ行きの落ち方が激しく、豊島区の自宅からの通勤を自転車に切り替えるなど経費を切り詰めても閉店を決意せざるをえなかった。
「落ち着いたら自宅を改装して、ブックカフェをやりたい。私ら世代のおとっつぁん連中が気軽に食事できて、近所の子供たちもいられるような場所を作りたい。夢、というか、作るつもりです」
■撮影/黒石あみ、取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2018年4月12日号