突然の父親の死後、認知症の母(83才)を介護することになったN記者(54才・女性)。折れそうな母の心を支えたのは、なんと昔の恋だったという。
* * *
2013年、父は心筋梗塞で突然この世を去った。愛情深く穏やかな人で、認知症らしい症状が出始めていた母をいつもかばい、母も父に頼り切っていた。それだけに母の心中は如何ばかりかと心配したが、案の定、臨終直前から母は生気を失って抜け殻になり、臨終後の手続きから葬儀の手配などの事務的作業では一切、役に立たなかった。
私もたったひとりの父親を亡くしたわけで、少しはうなだれてもみたかったが、押し寄せるような作業に一気にのみ込まれた。葬儀社との打ち合わせで参列予定者の数を聞かれ、つい父まで頭数に入れて、苦笑されたりしていた。
そんな葬儀数日前、母がとんでもないことを言いだした。
「あのね、ウチにTくんが電話してくるんだけど、お父さんが取り次がないのよ」
Tくんというのは母が20代前半の頃の友人。母の昔話の中に時々登場する人で、核心部分は語らないが、どうも初恋の相手らしい。そして“お父さん”とはたぶん母の父親、私の祖父だ。娘の私に話してはいるが、明らかに舞台は60年近く前の母の実家。母は23才に戻っているのだ。
「Tくん、あたしのことが好きみたいなの」と、よりによってこんな時に! 空っぽになった頭に浮かぶのは、父ではないほかの男性なのか! どうしようもない怒りがこみ上げて、勢いで言い放った。
「ママ、自分がいくつだと思ってんの? Tくんだってもう、死んじゃってるかもよ。しっかりしてよ!」
心で母の横っ面を叩いて、現実に引きずり戻したつもりだった。母は私の暴言を理解したのかしなかったのか、また無表情になった。人が正気を失うのを初めて見た瞬間だった。
当時、もの忘れなどの典型的な認知症の症状はあったが、それは79才(当時)の母の衰えた姿。でもTくんのことを語る母は声も弾み、23才の世界に行ってしまっているようで、正直、怖かった。
時が経って、葬儀前後の珍事が笑い話になった頃、40代の女友達に、この時のことを不気味な出来事として話して聞かせた。すると意外にも、「お母さんの気持ち、わかる気がするな~」と返ってきた。「幸せな思い出って力になるんだよね。特に昔の思い出は美化されて“超幸せ”な思い出になるから、そこへ戻って充電してたんじゃない?」
私の母親になる以前の、母の人生に初めて思いを馳せた。80年余の長い人生だ。子供の頃には戦争があり、若い頃には恋もした。その後に父と結婚して私の母になったのだ。今さらながら、母がひとりの人間として見えてきた。
それにしても認知症で日々の出来事はどんどん忘れてしまうのに、60年近く前の情景はリアルに思い出し、その時の自分に戻ったこともすごい。
できればそんないい思い出を母の脳裏に残しておきたくて、時々Tくんのことを聞いてみる。すると母はシレッと、
「ママはそうでもなかったんだけど、Tくんは好きだったみたい、ママのこと。ふふ」
※女性セブン2018年4月12日号