ある言葉が流行すると、その意味がだんだんと大きく曖昧になってゆくことがある。一般的にはそうかもしれないが、法律や研究の世界で、そういったゆるさは御法度のはずだった。「位相」という言葉が意味不明な使われ方を広範囲でされている現状について、評論家の呉智英氏が指摘する。
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前回憲法を論じた際、法は体系的かつメカニカルに構築されていると書いた。この点で法律学は数学や物理学に近い。言葉の定義を明確にし用法を厳密にするところも同じだ。数学で「ピタゴラスの定理」とは言うが「ピタゴラスの原理」とは言わない。物理学で「速さ」と「速度」は明確に区別される。法律学においても、似た言葉を区別する。「みなす」と「推定する」は別の意味である。「条文を削除する」と「条文を削る」も意味が違う。
そうであれば、法学者が法律を論じる場合、法律用語以外でもキーワードとなる言葉、とりわけ外国語を翻訳した言葉は正確に使わなければなるまい。
二年前に岩波書店から『現代憲法学の位相』という本が出た。著者は林知更。東大法学部卒の東大教授である。私は、憲法学の位相を論じた本とは画期的だなと思って手に取った。しかし、目次を見ても位相らしき話は出てこない。序章を読むと、こんなことが書いてある。
「本書の標題『現代憲法学の位相』は、憲法学という学問が現代においていかなる位置と様相を有しているかを問うという本書の意図を表現している」
林教授は「位相」を「位置と様相」の縮約表現だと思っているらしい。確かに「東大」は「東京大学」を縮約したものだが、「位相」は縮約表現ではない。Phaseの訳語である。Topologyを「位相幾何学」と訳すが、憲法学と位相幾何学とはもっと無関係だ。
Phaseを手元にある『ライトハウス英和辞典』(第二版)で引いてみよう。学生向けの辞書であるから、大学には数冊はころがっている。語義説明には英語の別表現も付けて、次のようになっている。