「わが子のように思っていました」。永遠の若大将・加山雄三(80才)はこう目を涙で潤ませ別れを偲んだ。
1日午後9時半頃、静岡県・西伊豆に停泊していた加山の愛船「光進丸」が突如炎上。全長約26mの大半を焼きつくした。3日朝にようやく煙は収まったが、鎮火には至らず消火活動が続いた。そして4日、光進丸は浸水して沈没した。
現在所有する3代目光進丸は36年前の造船以来、家族のように大切にしてきた。この船には数々の「伝説」がある。
◆グアム航海中に米軍ジェット機に追跡される
造船間もない頃、グアム島までクルージングの旅に出た加山は、途中で無人島を見つけ上陸。廃墟の民家や学校を探検していると、双発米軍ジェット機が旋回していることに気づく。「みんな手を上げろ! 愛想よくしとけ!」加山のとっさの判断で船員らは手を振り難を逃れたが、実は上陸禁止の島だったという。
◆借金の赤紙を貼ったままクルージング
1970年に叔父の連帯保証人になり、20億円超の借金を背負ったが、光進丸だけは手放さなかった。
「5億円で造船した光進丸は差し押さえの対象となり赤紙を貼られましたが、“動かさないと傷んで価値が下がる”と訴え、税務署から乗船許可を得て、そのまま堂々とクルージングをしていたそうです」(芸能関係者)
◆大御所だらけの乗客
桑田佳祐、山下達郎、武田鉄矢のほか、最近は奥田民生も乗船。多くの人に愛された。
出火の原因は特定されていないが、
「当日、午後1時頃から約1時間、作業員が定期点検をしていたそうです。カビが出ないようエアコンや電化製品を動かしましたが、久しぶりに電気系統をオンにしたことが原因となったのではないかといわれています」(加山の知人)
愛船を歌った曲『光進丸』をリリースしたのは、1978年。40年の“節目”だった。
※女性セブン2018年4月19日号