映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、女優・岩下志麻が役者になったきっかけ、映画『秋刀魚の味』のヒロインとして小津安二郎監督に受けた演出について語った言葉をお届けする。
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岩下志麻は、今年で女優人生60年になる。それに合わせて、筆者が二十時間以上にわたって岩下に役者生活の全貌をインタビューした新刊『美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道』が発売された。今回と次回は、その中の岩下の印象的な「言葉」をお送りする。
今でこそ大女優の代名詞的存在の岩下だが、その道に入ったきっかけは偶然だった。高校時代に受験勉強で挫折した際、役者をしていた父・野々村潔に勧められ、「気分転換のよう」な状況で1958年にテレビドラマ『バス通り裏』(NHK)に出演したのがキャリアのスタート。その後、1960年に松竹に所属して映画デビューすると、主にメロドラマを中心にヒロイン役を演じていく。それでも、個々の現場では全力で仕事しながらも、役者としては「演じる」ということに大きなモチベーションを持てないままでいた。
そんな岩下に転機が訪れる。1962年、巨匠・小津安二郎監督の映画『秋刀魚の味』のヒロインに抜擢されたのだ。小津の役者への演出法について、岩下は次のように振り返っている。
「先生のリズムに合わないと駄目でした。例えばワイシャツにアイロンをかける場面でも、一つの方向に二回ゆっくりめにかけて、反対はそのスピードの二倍の速さで三回かけて、ちょっとアイロンを置いたら左手でうなじ上げてとか。全て細かくご指導なさるんです。
でも、そうなると、私の動きは段取りになっちゃうんです。その通りに動かないといけないって意識してしまいますから。ですから先生は自然体になるまで稽古なさる。その時は50から60回はテストしています。
アイロンの動き方が斜めだったりすると駄目で、まっすぐからとか言われるものですから、一つ一つの動きを意識してしまって、コチコチになって自然体じゃなかったんだと思います。本当に何度も何度もテストしましたね」