2011年に起きた東日本大震災と福島第一原発事故から7年。当時、誕生した子どもは小学校に入学するほど時間が経った。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、福島県で続けられている子どもの甲状腺検査と、事故を風化させない復興の歩みについて考えた。
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東日本大震災と福島第一原発事故から7年が経過した。放射能のホットスポットが点在した福島県飯舘村でも除染が進み、この春、小中学校が再開した。
仮設の学校はこれまで福島市にあった。ぼくも数年前、仮設の中学で「命の授業」をしたことがある。今回の再開により、児童・生徒約600人のうち約100人が飯舘村の学校に戻ってくる。多くの子どもたちは、村外の仮設住宅からバスで通学するという。
小学校1年のとき、原発事故に遭った子どもたちは、中学2年になった。村に戻るかどうかは、中学生一人ひとりが真剣に考えて決めた。親が決めたり、友だち同士で誘い合ったりすることなく、自己決定したという。
3月初めに飯舘村を訪ねたが、子どもたちの成長を見ると、7年という時間の重みを感じずにはいられない。
放射能は見えない。だから、忘れようと思えば、あっという間に忘れられてしまう。