西郷隆盛と聞いて多くの人が連想するのが上野公園の西郷像のような親しみやすい姿だろう。
しかし、西郷隆盛の死後21年を経た明治31年(1898年)、上野公園に建立された西郷隆盛像は、当初、陸軍大将の官服姿で造られる予定だった。それが着流しで犬と狩猟に向かう姿に変更された。背景には、勇ましい武人としての西郷のイメージを削ぎ落としたい明治政府の意向があった。
西南戦争を起こした「賊軍の将」西郷は、その後も庶民から英雄視されて大変な人気だった。新政府に不満を抱く庶民は、新政府と戦った西郷を応援したのだ。
西南戦争当時に数多く発行された錦絵を見ると、庶民たちの政府への不満が反映されて、反政府のカリスマとして西郷隆盛が描かれているのがわかる。
山縣有朋や伊藤博文ら新政府は、西郷が反政府の象徴として利用されることに危機感を抱いたのだろう。これに対処すべく、明治22年(1889年)、大日本帝国憲法発布に伴う大赦で西郷の賊名を取り除き、正三位を追贈した。西郷を批判するのではなく、彼は自分たちの仲間だとアピールしたのだ。
その後、持ち上がった銅像建立計画にあたっては、軍人とはかけ離れた着流し姿にして、「反政府の英雄」という要素を完全に消し去ったのだ。
文/森田健司
【PROFILE】1974年兵庫県生まれ。京都大学経済学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。博士。専門は社会思想史。著書に『西郷隆盛の幻影』、『明治維新という幻想』(ともに洋泉社)などがある。
※SAPIO2018年3・4月号