この時、運動を口実に病院を避けがちだった父が、友達のいない息子のために仲間に頼んで〈千羽鶴〉を折ってもらったこと、その中に美栄たちもいたことを梨愛は初めて知り、自分が生まれる頃には運動をやめていた父がどんなに祖国を思い、苦渋の選択をしたか、今さらながらに気づくのだ。
「実は私も同じ病気で姉を亡くしていて、家族総出で鶴を折ったりして。普段、私はわりと作品と距離を取って書く方なのですが、この場面は本当に辛くて……。父も以来きっぱり運動をやめてしまい、それくらい耐え難い出来事だったんだと思う。だからこそ鐘明には生き続けてほしかったし、父にその話だけは書くなと言われても作家の業なのか、書かずにはいられなくて」
そうした個人的な事情と時代のうねりが有無を言わせず絡みあう中に氏はこの虚々実々の家族史を置き、在日家庭にも様々な様相があることや父と娘の普遍的関係を、丁寧に描いていく。
「世代や民団系と総連系、戦前に徴用された人と民主化を信じて国を出た人でも祖国への思いは全然違う。在日文学といえば“恨”だと理解され、強調されてきたことに違和感があります。事実ではあるにしろ、社会の底辺に置かれてきた在日というステロタイプもある。
もちろん恨も抱えていますが苦労した父の人生には色々な様相があったはずですし、東仁のように志を貫いた人もいれば、家族のために志を折った人も大勢いる。そういう人生も私は十分誇らしいと思うんです」
背を向けてきた父の肯定。それは自分自身の肯定にも繋がるといい、本書を書き終えた今、彼女は「私自身の問題はもう何もない」と、眩しいほど笑顔を輝かせた。
【プロフィール】ふかざわ・うしお/1966年東京生まれ。2012年「金江のおばさん」で女による女のためのR-18文学賞大賞を受賞、翌年同作を含む『ハンサラン 愛する人びと』でデビュー。著書に『ひとかどの父へ』『あいまい生活』等。現在は皇族から大韓帝国最後の皇太子に嫁いだ李方子の評伝小説を準備中。「私自身、東京に住み韓国にルーツのあるフラットな人間として物を見ていたいので、今後も国や民族等の境界を越えた人間の物語を書いていきたい」。161cm、B型。
■構成/橋本紀子 ■撮影/国府田利光
※週刊ポスト2018年4月27日号