関ジャニ∞の渋谷すばる(36才)が4月15日、会見を開きグループからの脱退を表明した。今年の12月31日をもってジャニーズ事務所からも退所することとなる。
NHK『紅白歌合戦』に6年連続で出場し、“エイター”と呼ばれるファンクラブ会員は約56万人。今や同じ事務所の「嵐」に次ぐ男性アイドルグループに成長した関ジャニ∞だが、彼らは長い下積み生活を経験してきた。
大阪出身の渋谷は15才の誕生日にジャニーズのオーディションに合格。母親に「5000円あげるからついてきて」と言われてオーディションを受けたという。
「関西ジャニーズJr.」の一員となった渋谷は、関西でKinKi Kidsらのコンサートがあると招集され、当日会場で振り付けを教わって本番に臨んだ。
当時は滝沢秀明(36才)を頂上にしたジャニーズJr.の全盛期。渋谷は並居るJr.のなかで「東のタッキー、西のすばる」と称されるほどの人気者となり、18才の時に上京し、ひとり暮らしを始めた。当時の心境を渋谷は過去のインタビューで本誌にこう明かしている。
《憧れのタッキーと並べられるのは光栄やけど、とても越されへんって自分でわかってたからつらかった》
上京したもののCDデビューの目途は立たず、見知らぬ土地で相談できる友達もいない。渋谷は仕事もせず、家に引きこもってギターを弾く日々が続いた。
当時は他メンバーにとっても苦難の時代で、渋谷と同い年の村上信五(36才)は遊園地でバイトをし、同じく横山裕(36才)は建築現場で働いていた。錦戸亮(33才)も友人の洋服店で接客を手伝った。
◆一枚岩だった関ジャニ∞だが…
仕事がなく、バイトばかりだった男たちに転機が訪れたのは2002年のこと。大阪松竹座で関西ジャニーズJr.だけの舞台『ANOTHER』が開催された。これをきっかけに渋谷は東京の部屋を引き払って大阪に戻った。
《みんなと稽古始めたら、すごくラクになって。東京では負けられへんって気が張りすぎてたんでしょうね。ここでもう一回頑張ってみようと決心したんです》(渋谷。本誌インタビューより)
一念発起した渋谷は同年、関西ジャニーズJr.の仲間たちと「関ジャニ8(2004年から「∞」)」を結成した。
「それでもしばらくは不遇の時代が続きました。そんな当時のすばるくんを支えたのは他のメンバー。なかでも丸山隆平くん(34才)と安田章大くん(33才)は年下なのにすばるくんのために手っ取り早く稼げる配送系のバイトを探してきて面接の日程を決めるなど、何かと世話を焼いていました」(当時を知る芸能関係者)