名を馳せた人物の「我が人生の書棚」は気になることだろう。ここでは劇作家・評論家の山崎正和氏が語る「我が人生の書棚」を紹介する──。
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私の家系は代々蘭方医で、父親は生物学者です。そうした知識人の家系にもかかわらず、私は子供の頃、父親から一貫して「本を読むな」と教育されました。
私はどういうわけか、小学校3年生ぐらいから本を読むのが好きで、小説家の野上彌生子が訳した『アルプスの山の娘(ハイヂ)』などをむさぼり読んでいました。といって文学少年だったわけではなく、『子供の科学』という雑誌なども好きでしたね。いわば「本に淫している」子供だったので、父親はこのままだと私が変な人間になってしまうと心配したのでしょう。加えて、時代性があったと思います。私の小学生時代は軍国主義の真っ只中です。しかも私は5歳の年(1939年=昭和14年)から14歳の年(1948年=昭和23年)まで満州にいたのですが(途中一時帰国)、戦前の満州は日本にとって対ソ連の最前線。そういう世界で一番よろしくないのが「文弱」で、私は非国民であり、反時代的な存在だったのです。それで、父親が「本を読むな」と。
しかし、そう言われて、私はますます本好きになりました(笑)。
その後、敗戦になり、国民党政府によって満州に留め置かれているうちに、父親が病気で倒れてしまいました。私は学校から帰ると、父親を看病する以外やることがありません。そこで父親の本棚にあった坪内逍遙訳の『新修シェークスピヤ全集』(中央公論社)【1】を読み始めたのです。敗戦の2年後、私が中学1年生の年です。私はシェイクスピアも坪内逍遙も知らず、戯曲というジャンルがあることすら知りませんでしたが、読み始めたら面白く、1函2冊入り、全20函を片端から読みました。