【書評】『魔法にかかった男』/ディーノ・ブッツァーティ・著/長野徹・訳/東宣出版/2200円+税
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
ブッツァーティを初めて知ったのは、堀江敏幸の小説『河岸忘日抄』だった。主人公がこの作家の短編「K」(別題「コロンブレ」)を読む。ステファノという男が、死を司る海の化物「K」に追われていると思いこみ一生を過ごすと……という物語だ。明確な理由もなく漠とした予感に憑かれ、「あれがそろそろ来る」と怯え続ける心境は、さまざまな比喩として読みうるだろう。
作者の文章には、緻密に編みこまれた寓意と暗喩の網の目がある。本短編集には、ふと誰かを見かけることに始まる編がいくつかあり、私はとても惹かれた。
「K」と似た主題をもつのは「個人的な付き添い」である。少年時の語り手は城壁の外に、ステッキを持って、自分を待っている男がいるのを見かける。見覚えがあるようだが、何者なのかわからない。その後もときおり男は現れ、やがて語り手が行く先々についてまわるようになり、いつしか語り手は男の出現を待ちわびるようになる。ステッキの男は語り手の分身なのだろうか?
あるいは、街で見知らぬ男が突然、やあ、中学の同窓生だった〇〇だよと話しかけてくる「家の中の蛆虫」。男は次第に語り手の家庭に居着き、語り手の弱みにつけこんで家も事業も……。闖入と乗っ取りのモチーフが安部公房の戯曲「友達」や、藤子不二雄(A)の漫画「ヤドカリ一家」、もしくは現実の「尼崎連続殺人事件」なども思わせて、かなり怖い。