たとえば調教評価について、「なかなか時計が縮まらない」というのがある。しかし時計を縮めようとする調教をしない陣営は多いのです。角居厩舎もそうで、もしウチがそのコメントを出したとすれば、それを知る本欄読者は一笑に付すでしょう(笑い)。ひょっとすると大満足の調教内容なのに、ネガティブな物言いをしているかもしれない。競馬記者をケムにまいているのではないか。そんな深読みができるわけです。
「気持ちは入っているのに、稽古の動きがもうひとつ」。「やる気満々なのに……」と読みとれますが、実はちょっとテンションが高く入れ込み気味であることが多い。走りにも反映されていないということなのでしょうね。文章スペースがないせいか省略が利いていて「鞍上の気持ちは入っているのに」とも取れますね。「人の心、馬知らず」というわけでしょうか。
「いい意味で平行線」というのもよく聞くのではないでしょうか。物は言いようですが、その馬の前走を見て、勝ち馬からかなり離されていたりすると「?」ですよね。陣営としては元気なことは元気なのだ、と言いたいのでしょう。たとえば直前のテストが芳しくなかった自分の子供が、担任から「息子さん、いい意味で平行線です」と評されたら、どう反応すればいいのか(笑い)。含むところが複雑なので、一種の文学のようにも思えてきます。
思うに、関係者は馬のことを悪く言いたくないのです。なにか一つでも褒めてやりたい。「能力がない」と切り捨てるのではなく、いつかは走ってくれると思いたい。そこで表現に矛盾が出てくる。しかし、その期待感はなんとなく伝わってくる。そこが競馬コメントの不思議な面白さなのでしょう。