「成田屋!」、「かんげんく~ん」という声を浴びながら、4月20日、市川海老蔵(40才)が長男の勸玄くん(5才)を連れて、成田山開山1080年を記念したお練りを行った。約800mの参道を1時間以上かけて練り歩き、その姿を一目見ようと約2万人のファンや観光客が集まった。
市川團十郎家と、屋号の由来にもなった成田山との関係は古く、350年以上もさかのぼる。江戸時代、子宝に恵まれなかった初代市川團十郎が成田山新勝寺の本尊である不動明王に参詣したところ、後の2代目が誕生したことから、代々、帰依している。
そんな歴史ある成田山にはこんな“因縁”があるのをご存じだろうか。
◆平将門の怨念で祟りに…
「成田山新勝寺にお参りした人や成田山を崇敬する人は、神田明神に行かない方がいいといわれています。その逆もしかりです」
そう話すのは雑誌『宗教問題』編集長の小川寛大さんだ。
「神田明神は、平安時代に東国の独立を目指して反乱を起こした武将・平将門を祀っています。かたや成田山新勝寺は、朝敵となった将門を鎮圧するために祈祷が行われた場所。ですので、両方をお参りすると将門の怨霊が怒り、祟りがあるといわれます」
さらに神田明神には、名字に「藤」の字がつく人も参拝しない方がいいといわれているという。
「あくまでも俗説ですが、将門を追討したのは藤原秀郷という武将なので、佐藤や伊藤、近藤など名字に“藤”のつく人はその子孫の可能性があり、将門の怒りを買ってしまうといわれているんです」(神社仏閣専門家の坂原弘康さん)
※女性セブン2018年5月10・17日号