メジャーリーグでも二刀流で活躍する大谷翔平や、五輪2連覇を果たしたフィギュアスケートの羽生結弦など、1994年生まれのアスリートには錚々たる面々が名を連ねている。水泳の萩野公介・瀬戸大也、サッカーの浅野拓磨・南野拓実、柔道のベイカー茉秋、卓球の丹羽孝希、スピードスケートの高木美帆、バドミントンの桃田賢斗・奥原希望など、世界を舞台に活躍する若きアスリートたちはみな、1994年生まれだ。
世界を視野に入れつつ、楽しみながら成長する1994年組。そんな彼らの活躍ぶりを読み解くキーワードは、「グローバル化」だ。石川教育研究所代表で教育評論家の石川幸夫さんが言う。
「1993年に法隆寺地域の仏教建造物や姫路城が日本で初めてのユネスコ世界遺産となり、大相撲では曙が外国人初の横綱になりました。向井千秋さんが女性初の宇宙飛行士として飛び立ったのもこの年。1994年生まれ世代は、狭い日本から世界に飛び出していこうとの機運が高まるなかで生まれた子供たち。親の世代にも“わが子を世界で通用する人材にしたい”という気持ちが強かった」
この頃を境にアスリートたちも徐々に海外に進出した。野茂英雄がメジャーリーグに挑戦して大旋風を巻き起こしたのは1995年。それを皮切りに佐々木主浩、イチロー、松井秀喜、松坂大輔ら日本のトップ選手が次々と海を渡った。
野球だけでなく、野茂以降は松岡修造、伊達公子がテニスの4大大会で活躍し、サッカー日本代表も1998年フランス大会以降、W杯の常連国となるなど、日本人アスリートのグローバル化が進んだ。スポーツ評論家の玉木正之氏はこう話す。
「フィギュアでいえば、本田武史、高橋大輔ら先人の奮闘が羽生の活躍につながりました。かつて日本人選手が海外に挑戦することは、桃太郎が背中に日本一という旗を立てて鬼ヶ島に鬼退治に行くようなもので、ガチガチに力が入って実力が発揮できず“プレッシャーに弱い”と酷評されました。しかし最近は海外のスポーツ中継がテレビやネットで簡単に見られるので、海の向こうで活躍する自分の姿をイメージできるようになり、世界の舞台に立っても物怖じする選手が少なくなった。その代表格が大谷と羽生でしょう」
目指す世界が「夢の彼方」ではなく「日常」にあった世代ゆえ、日本を離れても平常心でプレーできる。臨床心理士の藤井靖氏が、1994年世代のメンタルについて、こう分析する。
「大人になってから海外に行った人と、子供の頃から海外に目が向いている環境に身を置いてさまざまな体験をしている人とでは、危機に陥った時の適応力が違います。世界で勝つためには、まず世界を知っておくことが大切です」
※女性セブン2018年5月10・17日号