2019年4月30日、今上天皇が生前退位し、翌5月1日に皇太子が新天皇に即位する。皇位継承にまつわる各行事の日程調整には、複雑な事情が入り組み、様々な思惑が交差した。その結果、スケジュールは実に国民の目からわかりにくいものになろうとしている。退位と即位の日程も二転三転した。その理由は官邸と宮内庁の歩調が合わなかったからだ。
2016年8月、「生前退位」の意向が含まれた天皇のビデオメッセージが公表されて以降、官邸は宮内庁と折衝を重ねてきた。
退位と即位のタイミングについて、官邸は当初「2019年元日」に強いこだわりを示した。理由は「区切りがよく、国民にもわかりやすい」というもの。
昨年1月、政権に近い産経新聞が「2019年元日改元」と1面トップで報じると、直後に宮内庁は定例記者会見で、「困難である。(元日は)早朝から四方拝、歳旦祭の祭祀、新年祝賀の儀が行なわれる」と突っぱねた。
代わって宮内庁が出したのが「2019年3月31日退位、4月1日即位」案だった。別の宮内庁関係者が言う。
「安倍(晋三)総理は、これに猛烈に反対しました。“統一地方選の真っ最中で、予算成立など年度末の多忙を極める時期に改元などできない”という主張です。
しかし、4月は元日の次の節目で、総理の言う“区切りがよく、国民にもわかりやすい”という考えとも合致する。
総理が反対した理由は、この情報を“反安倍”の朝日新聞が10月20日の朝刊1面トップで報じたからでしょう。“宮内庁が朝日にリークした!”そう考えた総理が、朝日の手柄にしないために猛烈に反対したという見方がある」