1946年、26歳から写真家として活動を開始してから2003年に急逝するまで、秋山庄太郎は女性ポートレートを中心に撮影を続けた。原点は女優・原節子だった。「被写体の本当の美しさを探し出すってことを教えられましたね」とまで語る、その特別な思いは多数の著書から窺うことができる。
秋山に、原への思いに似た印象を抱かせた女優が1人いた。夏目雅子だ。
「僕は新人を撮るとき、その子が伸びるかどうか瞬時に感じる。そういう予感を抱く楽しさというのもあってね。彼女(夏目)はこの先もっと撮りたいなと思わせるものを持っている子でした」(著書から)
事実、周囲も秋山が「伸びるかどうか瞬時に感じ」ていたことを認めている。仕事のパートナーとして秋山の傍にいた、長女の夫でもある、秋山庄太郎写真芸術館・館長の上野正人氏が証言する。
「例えば新人の頃の山口百恵さんを撮影したとき、『この子は必ず伸びる』と言っていました。何か直感的に感じるものがあったようです。秋山が得意げに語っていたのは、15歳の吉永小百合さんに会った時のこと。『この子は絶対に人気が出るから大事に育てなさい』と母親に言ったそうです」
同様に大スターになると予言していたのは岩下志麻。「あの春風の如き雰囲気は生地のもの」と表現し、岩下の持つ清潔感が大成する大事な要素だと語っている。