本の誕生とともに生まれた「しおり」。日本にはいつから、どのような形で存在したのか。“日本語で書かれた唯一のしおり通史”として話題を集めている『世界のしおり・ブックマーク意外史』(デコ)の著者で、しおり史研究家の猪又義孝氏が解説する。
「日本のしおりの原型は、仏教の経巻と共に入ってきた象牙の籤(せん)です。籤という漢字には“重ねたものに差し込む”という意味があり、奈良、平安時代は竹や木の籤が書物や巻物に差し込まれる形で使われました。平安時代の『枕草子』に「けふさん」というしおりの役目をするものについて書かれているのを最初と考えても、1000年以上の歴史があります」
印刷された紙製しおりが作られ始めた時代は、はっきりしないという。印刷技術が飛躍的に向上した明治中期、春陽堂刊行の尾崎紅葉著『三人妻』の付録が日本で最初の厚紙製しおりと指摘する研究者もいる。
紙製しおりが一般的に普及するのは大正以降とされ、猪又氏は「大正15(昭和元年、1926)年に始まった1冊1円の円本ブームが大きなきっかけ」と分析する。それまで本に縁がなかった読者に向けた紙製しおりが人気を集め、PR効果を狙って国や自治体、企業などが広報・宣伝の媒体として盛んに活用するようになっていく。
戦時体制に入ると戦意高揚を図るしおりが台頭し、戦後は国際イベントを紹介する図柄が増えるなど、世相も反映。日本の近代・現代史を浮き彫りにする役割も果たしていた。
写真は、明治25(1892)年発行の尾崎紅葉著『三人妻』下巻と挟み込み付録の短冊形しおり。しおりの表面には「小説出版の黄金時代を」と版元の社長の挨拶文が記された。
※週刊ポスト2018年5月18日号