【著者に訊け】奥泉光さん/『雪の階』/中央公論新社/2592円
【本の内容】
1935年、貴族院議員の笹宮伯爵の娘、惟佐子は、女子学習院の同級生である友人の心中事件に疑問を抱く。惟佐子に依頼された千代子と新聞記者の蔵原が謎を追う中、証言した男が殺され、惟佐子の兄の陸軍士官の影がちらつき始める。翌年の二・二六事件前夜、兄妹は帝国ホテルの一室で向き合うが…。戦前の空気が濃厚に漂う、ミステリー仕立ての長編。
昭和初期の東京や日光を舞台に、華族の令嬢、惟佐子が心中事件の謎を追っていく。殺人、スパイ組織、陸軍、恋愛など、いくつもの要素が重なり合って進む物語は、スリリングでいて心地よく、ページを繰る手が止まらない。
「武田泰淳の『貴族の階段』という小説から、いくつかの場面を借りています。雪の中で意外な2人の逢瀬を目撃するとか、主人公が睡眠薬をのませるとか。小説は何を書いてもいいものだから、逆に何か枠組みがほしかったんです」
学生時代に読んだこの本の面白さに触発されたことが、執筆の1つの動機になっていると、奥泉さんは振り返る。
今回の作品の魅力の1つが、惟佐子という人物だ。この貴族院議員の娘を主人公にしたのも、『貴族の階段』にならっている。
「政治の裏面を知りえる立場にいるけれど、女性であるがゆえに、当時は政治的な責任や義務がなく、客観的に見ている。情報にアクセスできるけど、その情報についてむしろ批評的になれるんです」
女子学習院高等科に通う美貌の持ち主は、父親よりも政局を冷静に判断し、数学を愛し、孤高の雰囲気を漂わせる。そして意外にも、次々に男性経験を重ねていくのだ。
「驚くと思います。普通のお嬢さんではない。怪物的だけど、ギリギリのところで健全な世界に踏みとどまっている人なんです」
想定外の展開に唖然としつつ、物語は1936年、陸軍の青年将校が天皇中心の体制を求めて反乱を起こした二・二六事件で終わる。
奥泉さんは史料を丹念に調べ、着物の柄から言葉遣いまで、当時の風俗、空気感を見事によみがえらせている。例えば、兵士に犬がまとわりつく写真の話が出てくるが、その写真は実在するそうだ。結婚事情、女中や書生のいる麹町の屋敷、軽井沢での避暑など、伯爵家の暮らしも、旧華族の女性の聞き書き史料などから再現した。
二・二六事件の数年後、日本はアメリカとの戦争に突入する。
「今、ナショナリズムが再び大きな支配力を持つ気配がある。その直感がこの小説を書かせたのかもしれません。軍部が着々と戦争に向かっていったわけではなく、急に場面が転換して始まったように見える。この昭和史の謎は今後も小説の形で追究していきたい」
■撮影/藤岡雅樹、取材・構成/仲宇佐ゆり
※女性セブン2018年5月24日号