1967年の呪い──。日本人が“バスト90センチ”を誇れるまでの歴史を語る時、この年の出来事は欠かせない。『巨乳の誕生』(太田出版)の著者である安田理央氏が振り返る。
「アメリカのストラスマン博士が『バストサイズと性格および知能の関係』で、『86センチ130、91センチ100、102センチ80』とバストが大きいほど知能指数が下がると発表。日本でも取り上げられ、医師や博士も賛同したことで、この説が一気に広まります。
大橋巨泉が朝丘雪路の胸を『ボイン』と表現したのも同年。また、ファッションモデルのツイッギーが10月に来日し、スレンダーな体型に憧憬を抱く女性が急増し、以降“バスト90センチ”は忌み嫌われるようになります」(以下「」内は安田氏)
それ以前、胸の大きさは誇らしいことだった。1950年代後半から1960年代にかけて“グラマー”が流行語となり、1959年にはバスト93センチの児島明子が「ミス・ユニバース」で優勝。渡米前、雑誌の対談で美人の条件の話題になった時に〈ハト胸って最高のものですからね〉と話すなど自らのバストをポジティブに捉えていた。
だが、一度変わった流れは容易には引き戻せない。1970年代、性的な想像を膨らませる大きな胸は、清純さを求められるアイドルたちにとって不必要と考えられた。1972年デビューのアグネス・チャンは男性誌で〈これでも、あたしアーチスト。オッパイやオシリ関係ない。だから全部ノーね〉とスリーサイズの公表を拒絶。1980年にデビューし、温厚で知られる河合奈保子も雑誌で84センチのバストの話になると、〈胸の話はキライッ!!〉とヘソを曲げ、理想を〈80センチくらいですね〉と答えている。
「公称サイズはあくまで“見られたい数字”。当時90センチ台のアイドルも存在したかもしれませんが、世の中に受け入れられないと判断したのか、ほとんどが80センチ台を自称しています」
1990年、バスト94センチの細川ふみえがサイズの小さい“眼帯ブラ”と呼ばれるビキニ姿でグラビアに登場。『ザ・ベストテン』など歌番組が相次いで終了した時期とも重なり、女性タレントの新たな売り出し方としてグラビアでの過激な露出が脚光を浴びる。
「堀江しのぶや中村京子がブレイクしたように、1980年代にも潜在的な需要はあったが、細川の人気爆発で1990年代に90センチ以上が出現するようになります」
それでも、“ストラスマンの呪縛”は25年経ってもまだ続いていた。細川は1992年に本誌で〈世間の人はいうじゃないですか。胸の大きさと、頭の良さは反比例するって〉と吐露している。
「そのイメージを変えたのは、細川や小池栄子、MEGUMIが所属したイエローキャブ軍団です。テレビ番組で頭の回転の良さを見せ、バストと知能指数に相関関係はないと証明した」
2001年にデビューしたバスト103センチを誇る根本はるみは週刊誌で〈芸能界に入って成功する近道は、胸をウリにすることだと思っていたので。「このオッパイしかないだろう!!」って(笑)〉と発言。“胸の大きさは誇れること”という認識がタレント側にも広がり、2000年代には熊田曜子などバスト90センチ超えのグラドルが芸能界を席巻していった。
数十年の時を経て、日本人は“1967年の呪い”からようやく解放されたのである。その呪縛からの解放の一翼を担った、B90超の女神たち4人を紹介しよう。
●細川ふみえ(1971~)B94
1990年、ミスマガジンのグランプリ受賞を機にデビュー。初グラビアで、Fカップの乳房がはみ出るほどの極小ビキニを披露し、グラビア界の頂点に立つ。