認知症になった83才の母を介護することになったひとり娘のN記者(54才・女性)。認知症という病の不思議に今も一喜一憂する日々だという。その中から、母への尊敬が生まれることもあるという。
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「Nちゃん、新聞に東山魁夷の展覧会の案内が出ているんだけど、一緒に行けない?」
つい最近、弾む声で母が電話をかけてきた。母は認知症である。5年前、アルツハイマー型と診断された直後は、私が母のお金を盗んだと罵り、家の中は荒れ放題。私の知る母とは別人のようになり、とても苦しんだ。
そのときはケアマネジャーさんが「これは病気のせいなの。理解して受け止めてあげてね」と背中をさすってくれて、何とか乗り越えられた。
認知症は引っ越しなどの環境の変化で悪化しやすいといわれながら、決死の覚悟で今のサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に転居させたのが4年前。すると悪化するどころか表情も言動も落ち着き、昔の母に戻ったようにも見える。
認知症の主治医によれば、今の環境が心地よく、また認知症が進行して余計な不安を感じなくなったからだとも言う。
それにしても毎日、新聞を読み、好きな展覧会を見つけ、ひとりでは行けない現実を踏まえて娘に電話してくる行動力。認知症でもこんなことができるのか。喜ばしいことだが、どこか不安なのだ。
一方で、母はお気に入りの今の住まいがどこにあるかがわからない。問えば、昔住んだことのある町の名前を次々挙げ、続けて、「昨日散歩していたら、近所の人がお茶をごちそうしてくれたの。ここは本当にいい街ね」と、必ずこのオチになる。
お茶に招かれたのは恐らく昨日の出来事ではない。近所の人というのも実在するかどうか…。ここはなぜか教科書通り。それなのに私はつい、「知らない人の誘いに簡単に乗らない方がいいよ!」などと、意地悪を言ってしまう。
母の実母(私の祖母)も認知症だった。当時はまだ痴呆と呼ばれていて、祖母は親戚の家を転々とさせられていた。
高校生だった私は、わが家に来た祖母に「おばあちゃん、大丈夫? どんな感じなの?」と聞いた。あんなに働き者だった祖母の、そのうつろな表情が信じられなかったのだ。
「うん、すごく怖いの…」──認知症に関する知識や情報がなかった当時、祖母本人も家族も、不安といら立ちでいっぱいだっただろう。
その後、祖母は特別養護老人ホームに入所し、母と私で見舞ったときにはもう、私のことはわからなくなっていた。母にあの頃のことを聞くと、「おばあちゃん、かわいそうだったわね」と、神妙になる。そして必ずと言うほど、「Nちゃんがしっかりやってくれるからママは幸せ」とも。
母の記憶の世界はよくわからないが、きっと祖母を介護したときの、やるせない気持ちを覚えているのではないか。自身も記憶が途絶える恐怖を覚えながら必死で現実を受け止め、何とか周囲と調和しようとしているのではないか。そうなら、わが母ながら偉い。
母が認知症でなかったら、これほど母の内側を慮り、リスペクトすることはなかったかも。明日はわが身でもある。後日、母に誘われた展覧会のためふたりで銀座に繰り出すと、母はごきげんで和光の前を闊歩。まだまだイケるぞ! 私も精進しなくっちゃ。
※女性セブン2018年5月31日号