プロ野球の歴史の中では、「人気のセ、実力のパ」といわれた時代があった。裏を返せばパ・リーグには人気がなかったという意味でもある。球場は閑古鳥が鳴き、テレビ中継はなく、パの選手は「オールスターで初めて動いている姿を見た」とまで言われたほどだ。だがそこには独特の豪快さやあたたかさがあった。悲しくも笑える「昭和のパ・リーグ」の魅力について、近鉄、中日、西武で活躍した金村義明氏が語る。
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まず思い出すのは金銭面です。とにかくひもじかった。超一流の一部の選手を除いて、体を張る商売としてはとても割に合わない年俸でプレーしていました。まァ、どの球団も慢性的な赤字で、親会社の補填でなんとか存続していたので、仕方ない部分はあったんですけどね。
赤字の原因の一つは、なんといっても人気のなさ。当時はどこの球場もガラガラでした。観客より球場関係者のほうが多いこともありましたね。関西の3球団も酷かったが、レベルが違ったのはロッテが本拠地にしていた川崎球場。満員になったのを見たことがありません。
ただ川崎はその「客がいない」ことが逆に注目されて、スタンドではファンが勝手に流しそうめんや麻雀をしたり、アベックがキスしたりとやりたい放題。
それがフジテレビの『プロ野球ニュース』の人気コーナーとして始まった「珍プレー好プレー」で取り上げられるようになると、その出演を狙うファンが無茶苦茶やり始めた。スタンドから煙が上がったのでボヤかと思ったら、七輪を持ち込んで焼肉をやりながら観戦していた、なんてこともありました(笑い)。
【プロフィール】かねむら・よしあき/1963年兵庫県生まれ。1981年報徳学園のエースとして夏の甲子園優勝。同年ドラフト1位で近鉄入団。中日、西武を経て1999年現役引退。野球解説者として活躍中。
※週刊ポスト2018年6月1日号