作家の佐藤優氏と思想史研究家の片山杜秀氏が「平成史」を語り合うシリーズ。国際情報誌SAPIO誌上で行われた対談は最終回を迎え、単行本『平成史』(小学館)としてまとめられた。最後のテーマは、「今上天皇の足跡」となった。今上天皇は2019年4月30日をもって“生前退位”することとなる。
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片山:私は、今上天皇が天皇と前近代的神秘性の結びつきを拒んで、近代民主主義の合理的世界、人間的世界にかなうように天皇像を改めようとしているのではないかと思うのです。今上天皇は、従来通りに崩御と改元をセットにすると、戦後民主主義もたちまち明治や大正の終わりと同じになってしまうと危惧したのではないかと。それを避けることが人間天皇像の完成につながる。だから「譲位」という形を選ばれた。
ただしかつては神話によって存在を保証された方が、今は人間に身をやつして被災地にやってくる。だからありがたいと思う人が出てくる。ただの本当の人間が、天皇という記号を付けて被災者を慰めにいってもありがたいのか。いくら人間天皇と言ってもそこにマジックがある。
佐藤:おっしゃるように、このマジックで天皇制は成り立っている。神学を学んだ人間からすると現人神という天皇のあり方が荒っぽく見えてしまう。神学の神人論では、父である神、子であるキリスト、そして聖霊は、神が三つの姿となって現れたものだと考えます。
イエス・キリストは神でもあるが、人間でもある。ただそれにもいくつかの説があります。神格と人格が重なると考えるのが正統派で、キリストは人間ではなく、神であると考える異端派は単性論と呼ばれます。またネストリウス派という教派ではキリストの神格と人格は重ならないけれども、一点で接しているとしている。
これを天皇に置き換えると1930年代から戦時中は、単性論。そして人間宣言の後は、ネストリウス派が言う重ならない神格と人格が接した存在になっている。