かつての大横綱たちは、どのような形で引き際を決めてきたのか。大鵬の通算872勝を凌ぐ、951勝をあげた第55代横綱の北の湖。引退に際しては、“節目の1勝”を目指しながら、最後に力尽きるというドラマがあった。
「21歳で横綱に昇進した北の湖は、大鵬と違って攻撃型の相撲に終始する“どこか憎たらしい強さ”だった。そのため子供たちには不人気だったが、コアな相撲ファンを魅了する圧倒的な強さがあった。
それに陰りが見えるようになったのは、1981年の夏巡業で左膝を痛めてから。下半身のケガが続き、千代の富士や隆の里、若嶋津、朝潮、大乃国、保志(のちの北勝海)らの後塵を拝すようになり、休場も増えた。それでも、両国に完成する新国技館での1勝を目指し、痛みに耐えて稽古を続けていた。
ただ、念願だった落成式での土俵入りこそ果たせたものの、新国技館で最初の場所となった1985年1月場所は、初日の小結・旭富士、2日目の前頭筆頭・多賀竜に連敗し、そのまま引退を表明。“新国技館での1勝”は果たせなかった」(後援会関係者)
たとえ、すぐ手が届くところに自身の目標があっても、若手や平幕相手に黒星が続くことは許されない。それが、「横綱」という地位の重みとなってきた歴史がある。
※週刊ポスト2018年6月1日号