シーズンオフになるとテレビで放送され人気を博した「珍プレー好プレー」的な番組で必ず取り上げられる試合中の乱闘事件。多くは、デッドボールを当てられた打者が投手に向かってゆくといった、選手同士の揉み合いだったが、監督のなかで乱闘の常連として知られたのは、パ・リーグの不人気球団だったロッテ監督時代の金田正一氏。現役だった国鉄時代に1回、巨人在籍時に1回、ロッテ監督になってからは6回の退場経験を持つ金田氏が、なぜ監督になってから乱闘が増えたのかを振り返った。
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ワシは元々、客が500人入れば大入り袋が出た不人気球団・国鉄を経験していたから、客がいない環境には慣れているつもりだった。だが何事にも限度というものがある。パ・リーグの不人気は想像以上だった。セはドル箱カードの巨人戦があったが、パはどの球場に行っても本当に客がおらせん。スタンドがガラガラで、格好悪くて彼女を招待できなかったよ(苦笑)。
選手にとって客がおらん球場で野球をやるほど虚しいものはない。そこでワシは、親会社に“おんぶにだっこ”だった当時のパを変えてやろうと思った。選手の年俸は自分たちで稼ぐことを目標にし、パの試合を超満員にするため何でもやったよ。客が「たまには顔を見せろ」と野次るからサードコーチャーとして「カネやんダンス」をしたこともあるし、パに人気選手がいないから“エースのジョー”こと城之内邦雄(元巨人)を現役復帰させたりもした。すべて客寄せのパフォーマンスですよ。
メディアもフル活用した。実はワシは国鉄時代から「大きな記録達成は巨人の試合がない日にする」と決めていた。巨人の試合がある日にやっても、新聞が扱わないことを知っていたからだ。だからロッテの試合も巨人戦のない月曜に組んで、話題を提供したよ。しかしロッテが優勝した年に、長嶋茂雄に引退されてすべて持っていかれた時は参ったな(苦笑)。