政府は「新元号」の発表時期を、代替わり直前の2019年4月と定めた。平成との“二重権威”が生じるのを防ぐため、ぎりぎりまで遅らせることにしたという。改元は、歴史の転換点という位置づけなのである。
だが実は歴史を振り返ると、元号は今ほど大事にされておらず、“えっ、そんな理由で?”と思ってしまうような改元が繰り返された時代があった。著書『「日本の伝統」の正体』が話題を呼ぶ作家・藤井青銅氏が、元号にまつわる“ざんねんな歴史”を詳らかにする。
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現代の日本人は、天皇の権威と元号を結びつけて考えているが、天皇の在位中は元号を変えない現在の「一世一元」の制度になったのは、明治22年(1889年)に旧皇室典範で定められて以降である。
それ以前も新しい天皇になったら改元する「代始改元」の原則はあったものの、日本の元号第一号である「大化」以降の天皇が90代であるのに対して、元号はおよそ2.7倍の247あり、代始改元以外の改元が頻繁に行なわれたことが分かる。
その改元の理由は何とも“いい加減”なのだ。奈良時代の715年には、甲羅に北斗七星の模様がある珍しい亀が、左京職という役人から天皇に献上されたという理由で「霊亀」と改元している。正倉院の宝物に、「青斑石鼈合子」という亀の形の容器が納められているが、これはこの亀に似せて作らせたものと伝わっている。