政府は「新元号」の発表時期を、代替わり直前の来年4月と定めた。平成との“二重権威”が生じるのを防ぐため、ぎりぎりまで遅らせることにしたという。改元は、歴史の転換点という位置づけなのである。
だが実は歴史を振り返ると、元号は今ほど大事にされておらず、“えっ、そんな理由で?”と思ってしまうような改元が繰り返された時代があった。著書『「日本の伝統」の正体』が話題を呼ぶ作家・藤井青銅氏が、元号にまつわる“ざんねんな歴史”を詳らかにする。
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現代の日本人は、天皇の権威と元号を結びつけて考えているが、天皇の在位中は元号を変えない現在の「一世一元」の制度になったのは、明治22年(1889年)に旧皇室典範で定められて以降である。
それ以前も新しい天皇になったら改元する「代始改元(だいはじめかいげん)」の原則はあったものの、日本の元号第一号である「大化(たいか)」以降の天皇が90代であるのに対して、元号はおよそ2.7倍の247あり、代始改元以外の改元が頻繁に行なわれたことが分かる。
改元がやたらと行なわれたのは、次第に公家同士の勢力争いに使われるようになったからだ。強い勢力が己の権力を誇示するために、改元は一貫して天皇の大権だったにもかかわらず、自身が好きな元号に改めたのだ。
時が流れて鎌倉時代からは、武家が介入するようになる。将軍が替わると、世を治めているのは自分だという自負から、朝廷に圧力をかけ、改元させる。反発して、公家はその元号に難癖をつけて再び変えようとした。また、地震や火事などの大災害が起きると、“ゲン直し”を理由にして改元することもあった。