認知症の母(83才)を介護することになった一人娘のN記者(54才・女性)。認知症のせいか、少々節操なく見ず知らずの子供に話しかけたり触ったりすることが気にかかるという。外出先ではいつもハラハラしていたというが…。
* * *
母と一緒に電車に乗った、穏やかな午後のことだ。
さほど混み合っていない静かな車内の空気をつんざくように、赤ちゃんが泣き出した。私と母が座る席の向かい側。ベビーカーの中で火がついたように泣き叫ぶ赤ちゃんのかたわらで、若い母親が平然とスマホをいじっている。
「あぁ、まずい状況だ…」
私の心に暗雲が立ち込めた。
母はやたらと小さい子供に触りたがる。特に認知症になってからは、周りの雰囲気やその母親の表情などはお構いなしに、一目散に子供に駆け寄るようになった。以前、神経質そうな母親が怪訝な目を向けているのに赤ちゃんに触ろうとして、迷惑そうに去られたこともある。
「もう少し寛容でも…」と思わないわけではないが、そんな若い母親の気持ちも、実はちょっとわかる。
核家族のひとりっ子で、子供と接する機会の少なかった私が初めて子育てと向き合った時も、“言葉の通じない小さな生き物”とどう接したらよいか戸惑い、母のアドバイスにさえ苛立ったものだ。
「この人もきっと、どうしたらいいのかわからないんだよね…」
そんな同情を寄せながら隣の母を見ると…いない! イヤな予感は的中。すでに赤ちゃんに惹きつけられていた。もう止められない。
「あら~よく泣いているわね。なんてかわいいの」
なんと赤ちゃんのほっぺを指で突いた! 母は赤ちゃんのほっぺが大好きなのだ。
赤ちゃんの母親はきっと怒っているに違いない。赤ちゃんは驚いてさらに絶叫するだろう。もう絶体絶命だ!
赤ちゃんにとっても想定外の出来事だったのだろう。突然、泣きやんだ。恐る恐るなり行きを見守ると、赤ちゃんは大きな目を見開いて、母のしわしわ顔を興味深そうに見つめている。この子も核家族で、老婆と接する機会が少ないのだろうか。
すると今度は赤ちゃんの方が思いがけない行動に出た。母の指を手でつかんだのだ。なんて小さなお手々! これぞ“未知との遭遇”。
「おいくつ? 女の子?」
母は若い母親に話しかけた。
「はい、もうすぐ1才です。すぐ泣くんですよぉ~」と、母親も意外にフレンドリーだ。
「赤ちゃんは泣いておしゃべりしているのよ。泣くのがお仕事」と、世間の通説も高齢者が言うと説得力がある。若い母親が神妙にうなずくので、母も得意げでうれしそうだ。
なんだか私だけ仲間外れになったようで、負けずに駆け寄り手を差し出すと、赤ちゃんが私の指も握ってくれた。「あ~なんて小さくてしっとりして、なんともいえない感触」。私には約20年ぶりの懐かしい感覚でもあるが、心の奥から喜びがあふれてくるような不思議な感覚だった。
気づけば0才の赤ちゃんと20~30代の若い母親、50代の私、80代の母の多世代交流。今の時代には、案外、貴重な機会だ。無条件にかわいい赤ちゃんのオーラに包まれて、みんな笑顔! いい昼下がりだった。
※女性セブン2018年6月14日号