屏風の中の虎を出せ、など無理難題を押しつけられても、とんちで切り抜けるかわいらしい小坊主のイメージが強い一休さん。しかし、現実の一休宗純は、僧侶に戒められている物事をことごとく破るような、破戒僧だった。『ざんねんな日本史』(小学館新書)を上梓した歴史作家の島崎晋氏が、その知られざる顔を紹介する。
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どんな問題も知恵を使って穏便に解決させる愛くるしい小坊主。テレビアニメの『一休さん』の主人公はそのように描かれ、ユーモア溢れる解決方法とほのぼのとした雰囲気も手伝って、日本だけでなく、広く世界中で愛されている。
この愛されキャラが実在の人物の子供時代という設定であることは、あるていど知られている。しかし、モデルとなった一休宗純という禅僧については語られることが少ない。その理由は、アニメの一休さんと現実の一休宗純とのあいだのギャップが大きすぎるからかもしれない。
実在の一休はただ頭がよいだけではなく、飲酒や肉食もすれば、女犯はおろか男色にも走る破天荒な僧侶だった。
ひいき目にみれば、一休は権力者や既存の大寺院を嫌い、清貧と反骨に終始した人物。あくまで庶民目線の生涯を送り、「一休」という法名にも、煩悩と悟りの狭間で一休みするという意味が込められている。飲酒や女犯の禁を平然と破ったのも、虚飾や偽善に対する反抗心の表われだったのだろう。
一休の凄いところは、これらの行状を隠すことなく、それでいながら立派な禅僧、一流の文化人として、誰からも一目置かれていたことにある。
殺人や窃盗、虚言を除き、仏教の上で破戒とされる行為にことごとく手を染めながら、その名声にいささかの揺らぎもなかったのは、やはり彼ならではの人徳の賜物だろう。
※SAPIO2018年5・6月号