突発的な大ニュースをいち早く伝えるために、朝夕刊の新聞とは別に臨時で発行される「号外」。
「どの号外も私の宝です」──約70年間にわたり、3万点を超える号外を収集してきた東洋文化新聞研究所代表の羽島知之氏(83歳)はそう語る。
号外との最初の出会いは、高校1年生だった1951(昭和26)年9月。学校帰りに渋谷駅で偶然手にしたのが、サンフランシスコ講和条約の調印を伝える毎日新聞の号外だった。この1枚から、号外収集が始まった。
「もともと、中学時代に新聞題字の収集を始め、その情熱が号外にも広がったのです。大学時代には東京・神田の古書店街や古書即売会などに足繁く通い、古い号外を探し求めました。
社会人になっても熱は冷めず、号外が出そうな時は新聞社に電話で問い合わせ、配布される街頭に急ぎました。日劇前で号外を受け取っている私の姿が翌日の朝刊に載ったこともありました」
その新聞コレクションは海外にまで知られる。ある時、アメリカ人から人を介して、ベーブ・ルース来日の号外を買いたいという申し入れがあった。
「東京駅から銀座をパレードした時の様子を報じる昭和9年発行の号外です。100万円でもいいから譲ってほしいと言われましたが私も持っていたいので、もちろんお断わりしました」