1945年8月の樺太。ソ連軍の侵攻で命からがら網走へ向かった母と息子。厳しい寒さと飢えの中、母が開いた食堂のおにぎりが評判となり、多くの人で賑わう。それから四半世紀。敏腕経営者となった息子が、疎遠になっていた老いた母の握ったおにぎりを頬張り、母の静かな思いと親子の絆を知る──。
吉永小百合(73才)の120本目の映画出演となった『北の桜守』(今年3月公開)では、日本の代表的家庭食である「おにぎり」が象徴的なものとして描かれている。そんなおにぎりについて書かれた1つの記事が医療関係者の間で話題だ。
《手塩にかけたおにぎりは、おいしい発酵食?》と題した『クロワッサン』(5月25日号)の記事である。
記事では《近年は過度な清潔志向で、母親が作るおにぎりが妙なことになっている》と料理研究家が指摘。《素手は不衛生だからと小さいお子さんがいる家ではラップや食品用手袋でにぎる人もいますよね。でも素手でにぎるからこそ“おにぎり”はおいしいんです。(中略)人の手まで不潔だと悪モノにしたら、日本の伝統的発酵文化そのものが成り立ちませんよ》と、「素手で握るおにぎりは発酵食品の一種」という考え方を紹介した。
さらに、寄生虫研究の権威である藤田紘一郎・東京医科歯科大学名誉教授によると、《おにぎりは発酵食品と同じ》であり、
《衛生に配慮してビニール手袋やラップでにぎられたおにぎりに発酵食品の価値はありません》
《おにぎりを素手でにぎる効用は体内に乳酸菌などの常在菌を取り込むことです》
と素手で握ることが腸内環境を改善するという。
数年前から「菌活」がブームとなっている。日本の伝統的な発酵食品である納豆やみそ、しょうゆ、塩麹、甘酒などを食べると腸内の善玉菌が増え、美容や健康に役立つというものだ。『クロワッサン』はそうしたブームを「素手で握るおにぎりにも」と考えたようだ。
しかし、この記事には医療関係者を中心に異論の声が上がっている。五本木クリニックの桑満おさむ院長はこう警鐘を鳴らす。
「おにぎりは発酵食だという考え方は非常に危険です。実は『発酵』と『腐敗』はほとんど同じ意味です。人に健康上のトラブルを起こさない食品が発酵食品で、健康被害があるのが腐敗食品です。その腐敗した食品によって食中毒が発生します。特におにぎりは食中毒の原因の代表的なもので、全国で被害が後を絶ちません」
食中毒は気温が上がる6月から急激に増え、暑さが和らぐ10月頃までが発生のピーク。実際、昨年9月には愛知県の園児87人がおにぎりの入った弁当を食べ、嘔吐や下痢を訴えて食中毒と診断された。長野県でも同月、児童と教諭14人がおにぎり弁当を食べて被害を受けた。手作りのお弁当を食べる子供たちに被害が多いようだ。
「手の常在菌である黄色ブドウ球菌は食中毒の主な原因の1つです。現代では衛生的な食品の取り扱いが徹底されているので、黄色ブドウ球菌による食中毒は減少傾向にありますが、『クロワッサン』のような記事を信じれば、家庭内での食中毒発生例が増加してしまう危険性があります。“食の伝統を守る”というと聞こえはいいですが、健康被害にあっては元も子もない。特に体力のない子供が深刻な被害を受けないか心配です」(桑満院長)
全国で梅雨入りし、これからがまさに要注意シーズン。
「衛生面に配慮し、おにぎりはラップや食品用手袋で握るのが正解。食品は時間の経過とともに腐敗するので、作ったらすぐに食べることも意識してください」(桑満院長)
“母の愛”では菌は殺せないのだ。
※女性セブン2018年6月28日号