現在46歳の台湾人が、日本統治時代の台湾で活躍した人々を独特のタッチのイラストで描き注目を集めている。彼が「日本時代」をテーマにした背景には、アイデンティティが定まらぬ現代台湾人の苦悩があった。彼の名は1972年生まれの呉旭曜(ペンネーム:KCN)。台湾を代表する現代アーティストの作品を紹介しよう。
【人間機関車 呉昌征】
1931年、夏の甲子園で初出場の台湾代表「嘉義農林学校」(嘉農)が準優勝の快挙を遂げた。その後も嘉農は台湾代表として春夏4回、甲子園に出場。その中心選手が、「人間機関車」「元祖二刀流」と呼ばれる呉昌征だ。
1937年プロ入り後、1942年・1943年には2年連続首位打者を獲得し、1943年には最優秀選手賞を受賞。1946年6月には投手としてノーヒットノーランを記録している。
1945年、プロ野球が中断され甲子園球場が芋畑となった際、嘉農出身の呉が耕作指導員として甲子園の土壌改良をすすめた。甲子園の土を作り上げたのは彼かもしれない。1995年に 野球殿堂(巨人‐阪神‐毎日)入りし、2018年1月には「台湾棒球名人堂」入りを果たした。日台の野球の絆は今でも強く結ばれている。
文・作品解説■藤重太
【プロフィール】(ふじ・じゅうた)1967年東京生まれ。千葉県成田高校卒業後、台湾大学に留学。卒業後は、日本と台湾の企業民間交流のコミュニケーション・コーディネーターとして活動中。「台湾から日本の原点回帰を」がモットー。
※SAPIO2018年5・6月号