誤解を恐れず言えば、上役の求める“事実”を上手に編集して話せる人こそが出世している実態が連日、テレビや新聞を通じて明らかになったのが、森友・加計問題の“功績”かもしれない。つまり、エラくなりたければ、ウソつきにならなくてはいけない。翻って、わが子から「それでもウソはいけないの?」と問われたら──。教育者の上井靖さんは今年2月、校長を務めていた名古屋市内の中学校に前川喜平・前文部科学省事務次官を招き授業を開講。賛否が噴出したが、今もなお前川氏による授業は必要だったと考える。なぜか。上井さんが「わが子に『ウソはよくない』と教えてもいいですか?」という疑問に答えを出す。
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ウソはついてはいけないもの。それはそうです。でもね、ウソは誰もがついてしまうものでしょう。
子供もウソをついてしまったら、自分が悪いことをしたとわかっています。そこで大人が「ウソをつくなんていけないことだ」「本当のことを言いなさい」と頭ごなしに叱ってしまえば、子供はサッと心の蓋を閉じてしまう。それは、自分がなんでウソをついてしまったのか、わかろうともしてくれないことに失望するからです。
子供のウソが発覚した時には、その裏にある気持ちの変化を確認し、同じようなことがあったらどうしたいか、どうするべきかを一緒に考え、子供自身に決めさせることが重要です。「これが正しい」「こうするべき」と大人が押しつけてしまえば、自分で考えて解決しようとする力、答えを見つける力が育たなくなってしまいます。
加計学園問題で渦中の人となった前川喜平・前文科省事務次官を招いて授業をしてもらったのも、子供たちに、自分たちで何が正しいかを考えて判断する力をつけてほしいと思ったから。文科省から問い合わせがあっただけでなく、一般のかたからもクレームの電話が殺到しましたが、そんなときも考えていたのは「何がこの人をこうさせるのか」という背景です。子供たちにも同様の経験をしてもらいたかったので、「報道の人たちには、自分が思っていることを正々堂々と話していい」と伝えました。
物事の正しさを自分で判断し、またその基準は常にアップデートされるべきです。「ウソはよくない」ではなく、「誠実や正しさとは何か」という問いで考えさせることで、一律に「ウソ=悪」という思考ではなくなります。人を傷つけるようなウソをついてしまうなど過ちを犯しても、それを受け入れ、謝罪するなどしてやり直し、誠実に変えることもできます。そうした可能性があることに気づかせる教育が必要だと思っています。
※女性セブン2018年6月28日号