先に言っておくが、ウソをついたことがないわけじゃない。でも後ろめたさもあるし、できればウソをつきたくないとも思っている。あの人たちもそうなのか。そうであってほしいけど──最新著書『高学歴モンスター』(小学館新書)でウソをつく人の精神構造をタイプ別に分析した著者が喝破する、渦中の人物たちのウソとごまかしの根底にある心理とは。どうしてあの人たちは平気でウソがつけるのか? 精神科医の片田珠美さんに聞いた。
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世間を騒がせるウソやごまかしには、ある共通点があります。「責任逃れ」と「地位へのこだわり」です。自分には責任がないと主張することで、地位を追われることを避けています。
問題はなぜ、こうしたウソがまかり通る社会になってしまったのか。4つの要因が挙げられます。
1つは、成果主義。例えば日本大学の問題では勝利こそが大学の宣伝であり、評価です。そのため、勝つためにはなんでもありだ、そんな風潮を感じます。
2つ目は、過剰な自己愛です。自己のプライドを傷つけないため、保身のためのウソは、強い自己愛を持つ人がそれだけ増えたということでしょう。アメリカのトランプ大統領は典型ですが、財務省の官僚たちも自分の出世のため、プライドを守るためのウソですよね。安倍総理もまた、自己愛の強い無自覚型のナルシシストです。
3つ目は、世間が壊れてきたこと。最近は、近所づきあいが希薄になり、以前ほど世間体を気にする必要がありません。かつて世間に存在した、人を騙してはいけない、正直に生きるべきといった不文律がなくなりつつあります。
そして4つ目は、権威の崩壊です。かつて聖職といわれていた警察官や教師の不祥事が相次いでおり、これが「あの人たちだってやっているんだから」という空気を生んでいます。
こうした社会の変化の中で、忖度が問題視されていますが、そもそも忖度は日本の伝統で、当たり前にあったものですよね。以心伝心といわれるような、言葉に出さなくても相手の気持ちや意向を慮って、相手のために動くことを意味していました。だからこそ、忖度ができる人は気が利くと評価されたりもしていた。
ところが、社会が変わり、ウソをつくことへの恥も外聞も失われつつある中で、忖度もまた他者や社会のためではなく、自己のための度合いが強くなったように思います。自己中心的で想像力に欠ける政治家や官僚たちが、国家のため国民のためではなく、自分たちの私利私欲のために阿吽の呼吸で動く。
社会や世間の中ではなく、その場限りの狭い空間で生まれる過剰な忖度の延長線上にウソやごまかしがあるのではないでしょうか。
※女性セブン2018年6月28日号