かつての剛速球は見る影もないが、粘り強い投球で復活しファンの心を打っている中日・松坂大輔(37)。思えば、過去にもケガやブランクからカムバックした名選手は数多くいた。走攻守揃ったプレイヤーとして売り出していた吉村禎章(55、元巨人)はケガで野球人生が大きく変わった。1988年、外野守備中にチームメイトと激突し、左膝靱帯を断裂。しかし翌年終盤に復帰し、主に代打の切り札として活躍。1990年にはカムバック賞も受賞した。
元広島の前田智徳(47)も三拍子揃った外野手だったが、1995年の右アキレス腱断裂以降は打撃に専念。イチローや落合も「本当の天才」と認める技術で2007年には2000本安打を達成したが、本人は「(あのケガで)前田智徳は死にました」と不満を隠さなかった。
平成は投手の復活が多い。元ヤクルト・伊藤智仁(47)は、高速スライダーを武器に1993年の新人王に輝きながら、右肘の故障で翌年から2年間一軍登録はなし。1994年に手術を受け、1996年5月19日の巨人戦で1050日ぶりの復活登板を果たした。その年、7勝2敗19セーブでカムバック賞に輝いている。
同じヤクルトでは1992年リーグ優勝に貢献した荒木大輔(54)も印象深い。4年ぶりの一軍マウンドは、優勝争い真っ只中の神宮球場での広島戦(9月24日)。リリーフ登板し、最初の打者は広島の主砲・江藤智だった。フルカウントから捕手の古田敦也が要求したのは実戦でほとんど投げたことがなく、チェンジアップ程度しか落ちないというフォークだった。「もう知らんぞ」と開き直って投げると空振り三振。荒木は「生涯で一番落ちた」と述懐している。
有名な復活パフォーマンスで知られるのが、1997年4月6日・東京ドーム、元巨人・桑田真澄(50)の683日ぶりの登板。マウンドに手を置き、「野球の神様」に感謝した姿は、今も語り草になっている。その日は西武から移った清原和博が移籍後初アーチ。KKコンビの因縁は深い。
※週刊ポスト2018年6月29日号