都心部への一極集中が問題になっているが、かつて人口トップの都道府県は毎年のようにコロコロと入れ替わっていた。
現在人口283万人で全国12位の広島県は、明治5年(1872年)に行なわれた第1回目の人口統計で全国唯一の90万人超で1位だった。17世紀から広島藩を治めた浅野氏は干拓など積極的な開発事業を行なった。海運の中継港も整い、日本屈指の商業都市となったことで仕事を求める人々が集った。
人口136万人で28位の愛媛県は、明治9年(1876年)に香川県と合併したことで翌年から5年間にわたって西日本で最大人口となり、全国でもトップ3に入る時期があった。しかし明治21年(1888年)に香川県が分離したため順位が一気に落ちる。現在は「四国4県ではダントツ」が県民の誇り?(四国で2位の香川県の人口は約100万人)
山口県は現在人口138万人で全国27位と「中の下」に甘んじるが、第1回統計では2位で、首都の「東京府」を5万人以上リードしていた。江戸末期には「防長三白」で知られる産業政策で日本を牽引し、高杉晋作(写真)ら明治維新の立役者を輩出。幕末に人口調査が行なわれていたらトップに輝いていたといわれる。
※現在人口は2017年の人口推計(総務省)をもとにした。
◆取材協力/友部謙一
※週刊ポスト2018年6月29日号