6月上旬、マツダの2人乗りスポーツカーである「ロードスター」が改良され、歩行者などとの衝突被害を軽減する自動ブレーキが標準装備となった。実はロードスターは昨年の11月にも改良が行われており、わずか半年での改良。そこから「ロードスターを大切にするマツダの気持ちが伝わってくる」と話すのは、モータージャーナリストの鈴木ケンイチ氏だ。
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マツダの走りといえば「人馬一体」というキャッチコピーが有名です。しかし、もともと「人馬一体」とは、初代ロードスターのために生み出されたコンセプトでした。
最初はひとつのクルマのために生み出された「人馬一体」が、今やマツダ全体を示すコンセプトになっており、マツダはロードスターを自社の「ブランドアイコン」と呼びます。つまり、マツダの現在のイメージを象徴する存在がロードスターとなっているのです。
しかし、ロードスターは最初から期待されていたクルマではありませんでした。どちらかといえば最初は「売れるはずがない」「必要ない」と考えられていました。その理由は2つあります。
ひとつは時代背景です。初代ロードスターが誕生した1980年代は「2人乗り」で「後輪駆動」の「幌のオープンカー」は、ほぼ絶滅状態だったのです。
人も荷物も少ししか乗らないし、転倒したら幌のクルマは危険だと考えられていました。そのため小型の2座オープンスポーツを新しく開発するメーカーは他にありませんでした。当のマツダ内でも「市場が存在しないから売れるはずがない。マツダには必要ないクルマ」と見る人も数多くいたのです。
もうひとつの理由はマツダの当時の状況です。1980年代後半の日本はバブルと呼ばれる未曽有の好景気。その波に乗って、マツダは大きな夢を描きます。国内5チャンネル化です。
「マツダ」「マツダオート」「オートラマ」「ユーノス」「オートザム」という5つのブランドを立ち上げて、それぞれに専用車種を用意し、トヨタや日産と肩を並べようとしたのです。
そのためマツダは、「ユーノス100/300/500/800」「オートザムキャロル」「エチュード」「ペルソナ」「コスモスポーツ」「センティア」「レビュー」など、数多くの新型車を世に送り出します。そのうちのひとつが初代ロードスター(当時はユーノス店向けなので「ユーノス・ロードスター」という名称)でした。
数多くの新型車を開発するために、マツダの社内は大忙し。そんな状況ですから、「市場のない=売れるはずない」、2座オープンカーにかけるマツダの期待はミニマム。人的資源も限られており、開発は非常に苦労したといいます。