新潟を訪れた東京人が言う。「さすが人が多いなぁ」。嫌味ではない。かつて東京より新潟が“日本一の大都市”だった時代があったのだ。明治5年(1872年)に始まった人口統計を紐解くと、この国の意外な近現代史が見えてくる。
東京都の現在の人口は1372万人だが、統計開始から四半世紀にわたって全国1位になれなかった。明治4年(1871年)の廃藩置県で誕生した「東京府」に現在の多摩地域などが含まれず(神奈川県の管轄)、日本の首都ながら「全国一」ではなかった。明治維新によって江戸に住んでいた幕府の旗本たちが職を失い、地方に移住したことも影響した。1位に躍り出るのは多摩地区が移管されてから4年後の明治30年(1897年)だった。
一方、現在人口753万人で全国4位の愛知県は、統計開始2年目の明治6年(1873年)に日本初の100万人県となった。江戸時代から材木加工や織物などの製造業が栄えており、それに従事する人々が集まった。だが、翌年には農業県の新潟にトップを奪われる。明治初期の日本が、第1次産業と第2次産業のどちらを国の柱に据えるかのせめぎ合いを象徴するトップ争いでもあった。
東京・名古屋とともに3大都市と呼ばれる大阪(人口882万人。3位)は、「日本第2の都市」の印象が強いが、全国1位となったのは明治17~19年(1884~86年)の3年間。明治14年(1881年)に隣接する堺県(現在の堺市を中心とする地域で、奈良県も含まれていた)と合併し、人口が爆発的に増加したことで首位に押し上げた。だが、明治20年(1887年)に奈良県が分離。“三年天下”に終わった。
※現在人口は2017年の人口推計(総務省)をもとにした。
◆取材協力/友部謙一
※週刊ポスト2018年6月29日号