女性セブンの名物記者・オバ記者こと野原広子(61才)が、南極隊員30人の胃袋をつかんできた調理人・渡貫淳子さん(44才)に南極生活の話を聞いた。
渡貫さんは、2015年に第57次南極地域観測隊の調理隊員となり2017年春に帰国。南極料理レシピを公開したり、料理教室の講師をしたり、企業の商品開発をするなど、幅広く活動している。調理師の夫とエンジニアの息子の3人家族だ。知られざる南極隊の様子について、渡貫さんはこう語る。
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観測隊員の構成は、調理師と医師が2人ずつで、あとは通信・車両・環境保全等の各専門分野を1人ずつが担当している。1人だけで任務がまかなえるわけはないから、当然、ほかの隊員の応援が必要となるときが山ほどある。
私の相方となった長谷川雄一さん(43才)は、2回目の赴任。その経験値から、“調理は1人でする”というシフトを提案されました。調理師は厨房にだけ縛り付けられるのではなく、ほかの仕事もするというもの。1年4か月、限られた空間内で、限られたメンバーで過酷な任務をこなすためには、そうしてバランスを取りながら生活するのがメンタルをうまく保つ最善策、と相方は考えていたのです。
そうはいっても、3食・30人分を1人で作る日はキツイですよ。朝4時起床。5時からパンを焼き、7時から朝食。片付け後にミーティング。昼の仕込み、昼食、片付け、夜の仕込み、夕食、片付け、ミーティング。翌朝の準備をしてから、お風呂とヨガをはさみ、最後に翌朝の冷凍パンを冷凍庫から出して就寝――かなりの長時間労働です。
その間に、サロンのソファで2回、30分ずつ仮眠をとって、日が沈まない白夜は、夜通し働いている人のために深夜、夜食を作りました。
ヨガは最初は、DVDに合わせてサロンでやっていたけど、だんだんと参加者が増えてきた。マイナス30℃を下回ったある日、「外でしない?」とその仲間を誘ったら、つきあってくれた。
だけど、これが大失敗。四角い板状にマットを広げたとたん、パリッパリッに凍って、乗ったらすぐに砕け散りそう。早々に退散しました(笑い)。
調理隊の試験に挑んだのは3度目。5年目にしてやっと合格しました。1、2回目は、受けました、落ちましたと、そのたびに家族に報告したけど、夫や息子からの感想は特になし。 でも、ふつうに考えて、主婦が1年以上、家を空けようというんだから、家族は迷惑でしかないでしょう。