【著者に訊け】広野真嗣さん/『消された信仰 「最後のかくれキリシタン」――長崎・生月島の人々』/小学館刊/1620円
【本の内容】
遠藤周作が小説『沈黙』で描いた、江戸幕府から苛酷な弾圧を受けるキリシタンの宣教師や信徒たちの姿。信仰をやめなかった彼らの多くは、明治時代に入り、カトリックに復帰した。その一方で、先祖の信仰の形を現代に至るまで守り続けてきた人たちがいる。本書は、彼ら「かくれキリシタン」に取材し、まるで“ないもの”とされている信仰の歴史を詳らかにした。選考委員の作家・三浦しをんさんが「今を生きる『かくれキリシタン』たちの生の声が胸を打つ。綿密な取材に感動した」と激賞した傑作ノンフィクション。
長崎と熊本にまたがる「潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録される見通しである。「かくれキリシタン」の歴史に注目が集まるなかで、少数だが今も江戸時代から続く信仰を守る人がいる、生月(いきつき)島を知る人は少ない。
「ぼく自身も『かくれキリシタンの聖画』という画集を手に取るまでは知りませんでした。ちょんまげ姿のヨハネ像にびっくりして、この島の信仰の歴史をもっと知りたいと思ったんですね」
広野さん自身、祖父が牧師、両親もクリスチャンという家に生まれ、中学生のときに洗礼を受けている。大人になってからは教会から遠ざかっていたが、聖画を見慣れていたからこそ、島に伝わる和装の聖画に違和感を持ち、その独自性に気づけたのだろう。それから、島に通うようになった。
「一番注目されていい場所なのに、聖地に行く道の落石がずっと放置されるなど、不思議なくらい雑に扱われていて。大浦天主堂が1億円近い金をかけて改修されたのと対照的で、これはどういうことなんだろうと思いました」
生月では、漁業や農業などのリズムに沿うかたちで宗教行事が伝えられていた。「オラショ」と呼ばれる祈りは、長い歴史のなかで口伝えされるうちに、唱える人にも意味がわからないところも多い。
明治以降、禁教が解かれて隠れる必要がなくなった後、他の地域の信徒の多くはカトリック教会に「復帰」したが、生月の信徒はそれまで同様、独自の信仰を持ち続けた。そのため教会からは異端視される存在となり、カトリックの歴史からも「消された」ことの証拠も探し当てた。
本を読んで島の宗教の歴史を知った若い人からは、「自分たちが身近に見聞きしてきたことを自分の言葉で書き残しておきたい」という感想も出たという。
「世界遺産登録が、それぞれの家族の歴史をひもとくきっかけになればいいなと思います。高度経済成長をへて生活スタイルが変わり、島の宗教行事が女性に負担がかかるものになって、今は信仰自体、消えつつある。自分を支えるものとしての信仰が消えゆく流れを顧みるのは、島だけの問題じゃなく、われわれの宗教意識への問いかけにもなると思うんです」
■取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2018年7月19・26日号