新幹線内での殺傷事件、有名ブロガー刺殺事件──。経済評論家の堺屋太一さんは、異様な事件が続出する背景には、「人生の規格化」があると指摘する。
「現代の日本社会では、生まれてから死ぬまで、すべて“正解”が決められてしまっている。高校や大学を卒業したらすぐに正社員として就職し、結婚して子供が生まれたら託児所や幼稚園に入れる。小中高から大学まで切れ目なく学校に通わせて、子供が成長したら持ち家を手に入れ、夫婦共働きで蓄財して老後に備える。このように人生をレールに乗せることは、国民を一致団結させ、日本を経済成長させるには役に立ったかもしれませんが、同時に多くの弊害も生みました」(堺屋さん)
最も大きな弊害は、社会から多様性と意外性が失われたことだ。
「例えば正社員にならずにアルバイトで生計を立てる、大学受験に失敗するなど回り道や挫折をして、一度でもレールから外れると、『自分はダメな人間だ』と思い込んでしまうような雰囲気が今の日本には蔓延しています。本当は、挫折から学べることや回り道で得るものがたくさんあるはずなのに、ただ1つの道しか“正解”として認められない世の中になってしまっている」(堺屋さん)
レールから外れた人間は、ふさぎ込むと同時に「もうリカバリーできないならばどうなってもいい」という自暴自棄な感情を抱えるようになる。
「何かがきっかけで彼らにマイナスのスイッチが入ると今回の新幹線殺傷事件のように暴走する。レールから外れて落ちこぼれた、という劣等感が重くのしかかり、凶暴化してしまうのです」(堺屋さん)
世の中から多様性が失われると同時に、人々の「共感力」も低下している。精神科医の香山さんが言う。
「インターネットが発達し、昔よりも多くの情報が手に入るようになったにもかかわらず、現代人が“正解”とする答えは一元化しています。自分の思う正解にこだわり、他人の立場に立って物事を考えられない人が増えている。それはニュースへの反応にも顕著に表れています。例えば、虐待は絶対に許されない行為です。しかし、なぜこんなことが起きたのか、自分も虐待する親になっていた可能性はなかったか、などと考えることもなくただ非難してしまう。自分を“正解”の側に置きたいがゆえの行動でしょう」
共感力が失われたのは、社会の中で人と人とが直に触れ合う時間が減っていることが理由にある。ジャーナリストの田原総一朗さんはこう話す。
「触れ合いが減った結果、生きて行く上での“耐性”がつかなくなってしまった。昔は子供の時から隣近所がみんな集まって遊んだけれど、今は家の中でゲームやネットばかりで子供が外で遊ばなくなりました。ぼくが子供の頃は4才くらいで初めて外に遊びにいくと、最初は年上の子供からいじめられた。6才くらいになると、今度はいじめる側になる。
幼い頃から人間関係で揉まれることも経験しているから、学校や社会でうまくいかないことがあっても上手に対処できた。しかし、現代の子供たちはそんな経験がない上に、過保護で何かあるとすぐ親が出てくるので自立できません。耐性がないからいじめもエスカレートするし、受けた側の傷があまりに大きくなります」
実際、新幹線殺傷事件の小島一朗容疑者(22)も中学校でいじめにあって不登校になってから社会と断絶し始めた。
◆社会に蔓延する“血統信仰”が日本を窮屈にする
“無菌社会”の弊害は社会だけでなく家庭内にも及ぶ。『親の品格』の著者で評論家の坂東眞理子さんが言う。
「今の日本を窮屈にしている一因は、社会に蔓延する“血統信仰”です。政治家は『子供は社会の宝』『社会全体で次の世代を育てましょう』と喧伝しますが、実際に事件や問題が起きると育て方を責め立てられるのは親です。その一方で親子心中のニュースは同情を持って報道されるが、アメリカでは親が子供を殺した殺人罪だとみなされる。日本ではいくつになっても子供は親の付属物で独立した人格とみなされない。女性が社会進出し、さまざまな選択肢が与えられるようになった現代社会において、親子関係にも多様性が認められるべきではないでしょうか」(坂東さん)
多様性が失われ、閉塞感ばかりがつのる現代社会を、堺屋さんは“第三の敗戦”だと警鐘を鳴らす。
「官僚主導でできあがった『人生の規格化』が行き詰まり、現代の日本は幕末と第二次世界大戦後に次ぐ『第三の敗戦』を迎えている危機的な状態です。しかし、過去の敗戦は以前の崩壊とともに新しい価値も生み出してきました。“敗戦”を迎えた今こそ、多様性と意外性を取り戻すチャンスなのではないでしょうか。一度レールから外れた者に『まだチャンスがある』と希望を持たせることのできる多様性と意外性のある社会を構築すべきです」
日本再生のカギは「生きがい」を取り戻すことである。
「生きがいとは何か、幸せとは何か、誰も教えてくれない。なぜなら生きがいや幸せに正解はないからです。このことを含め、今社会で起きていることに明確な正解はない。それゆえに、一人ひとりがこの問いから逃げずに答えを探すことが必要なのではないでしょうか」(田原さん)
※女性セブン2018年7月19・26日号