一方、開発の力を分散させないという意味で、大ナタも振るいました。それが軽自動車の開発・生産の終了です。
スバルにとって軽自動車は軽い存在ではありません。クルマ作りのルーツは1950年代の「スバル360」にありますし、軽トラック「サンバー」というヒット車もあります。しかし、厳しくなる自動車開発競争に打ち勝つために、あれこれもと手を広げることは、スバルのような小さな企業には厳しい。そんな判断から軽自動車から撤退することが吉永社長の時代に決められたのです。また、汎用エンジンの開発・生産からも撤退しています。これも同様の考えだったのでしょう。
もうひとつ忘れてはならないのが飛行機です。スバルのルーツは、東洋最大規模と謳われた中島飛行機です。そして現在もヘリコプターの開発・生産や、ボーイング社の中央翼の生産など行っており、航空宇宙産業という側面もあります。
吉永社長時代にスバルはボーイング旅客機の中央翼生産の規模を拡大し、さらに未来に向けて次世代のボーイング旅客機や陸上自衛隊の次世代ヘリの開発・生産を受注することに成功しています。
そんな吉永社長の最後の仕事といえば不正の洗い出しでしょう。「出荷前のクルマの無資格検査問題」や「出荷前のクルマの排ガスと燃費の検査の測定値改ざん」といった不正は、許されるものではありません。しかし、問題を表面化することで、初めて未来へ向けての対策が可能になるもの。責任をとって退任するのであれば、膿をすべて出し切ってほしいと思うばかりです。
「安全」と「4WD」を売りに北米市場での売り上げを伸ばしたことで、スバルはようやく独り立ちできる企業となりました。以前のスバルは、日産やGM、トヨタといったサポートする大企業がいないと成り立たないというイメージが強くありました。
しかし、現在のスバルは違います。しっかりと儲けの出る体質に変わることができたのです。ただし、新体制となったスバルが、今後も好調さを維持できるかどうかは未知数。自動運転技術やコネクテッドといった新技術をどのように使うのか?が、これからの自動車メーカーの大きな課題です。
新体制となったスバルは、そうした新しい時代の流れに上手に乗ることができるのか。スバルの戦いは、これからさらに厳しくなるでしょう。