昨秋に発覚した「出荷前のクルマの無資格検査問題」だけでなく、今年6月には「出荷前のクルマの排ガスと燃費の検査の測定値改ざん」という新たな不正も見つかったスバル。その責任を取るため、社長である吉永泰之氏は、代表権のない会長に退いた。吉永氏が社長を務めた2011年から現在までの間に、スバルはどのように変わったのか、モータージャーナリストの鈴木ケンイチ氏が振り返る。
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吉永氏が社長を務めた2010年代のスバルは、過去最大の成長を遂げた時期と言えるでしょう。吉永氏が社長に就任したのは2011年6月。その1か月前に発表されたスバルのリリースは「スバルの世界販売台数、売上高、当期純利益が過去最高」というものでした。
その数字は、世界での販売台数は65万7000台、売上は1兆5806億円、営業利益率5%台というもの。ところが、それからスバルの過去最高は、吉永時代に、どんどんと更新され、2018年3月期の決算では、販売台数106万7000台、売上は3兆4052億円、利益率は11.1%にも。なんと7年でスバルは2倍ほども大きな会社に成長してしまったのです。
成長の理由は、北米市場での成功です。とはいえ、スバルは1970年代から北米には進出していましたがクルマがなかなか売れません。北米に工場を作ったものの、生産台数を維持することができずに、2016年までトヨタの下請けとしてカムリの生産を行っていたほどでした。
しかし、吉永氏が社長を務めた時代に、ヒット作を連発させます。2012年の「フォレスター」に、2014年の「レガシィ/アウトバック/B4」といったモデルたちです。ポイントは、サイズを北米向けに大きくしたこと。また、スバル車は、現地の安全性能試験で優れた成績をおさめます。
さらに「ぶつからないクルマ」の運転支援機能「アイサイト(EyeSight)」もアメリカに導入。もともと4輪駆動性能には高い評価を得ていましたから、「安全で雪道に強いクルマ」としてスバル車は人気を集めていきます。そして、2016年からは「インプレッサ」の北米生産も開始。2017年には、北米向けの大型SUV「アセント」を発表(2018年導入)するなど、北米対策をしっかりと行って販売台数を伸ばしたのです。
ちなみに、北米向けにクルマが大きくなった「レガシィ」は、日本での人気が低下します。その対策として、2014年に古い「レガシィ」と同等のサイズの新型車「レヴォーグ」を日本市場に投入。また、2012年にはトヨタと共同開発した「BRZ」を、2013年には「インプレッサ」などにハイブリッドを追加するなど、日本市場での話題づくりも怠りませんでした。