1873年に禁教が解かれてから100年以上が経過した現在も、「かくれキリシタン」の信仰を続ける島がある。世界遺産の構成資産のひとつ、春日集落のある平戸島から生月大橋を渡った先にある生月(いきづき)島だ。
かつては1万人の信徒が暮らす島だったが、幕府の弾圧の手がおよぶと教会が破壊され、棄教を強く迫られた。彼らはひそかに信仰を守ることを選び、子や孫に島に残るオラショと呼ばれる祈りを伝えた。迫害を逃れるために書面に残さず口伝てで代々受け継いできたもので、布教当時をしのばせるポルトガル語風の聖句がちりばめられている。
貴重な伝統的信仰が残るにもかかわらず、今回、6月30日に登録された世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産に生月島は含まれていない。その理由を解き明かすのが、6月に刊行された『消された信仰』(小学館)だ。著者の広野真嗣氏は語る。
「『信徒発見』以降、カトリックの洗礼を改めて受けた人たちがいた一方で、潜伏信仰の継続を望んだ信徒もいました。カトリックはバチカンの求めにも応じない人々に対して“冷たい目線”を浴びせます。目線の先に生月島の信仰がありました」
世界遺産名にある「潜伏キリシタン」とは、禁教時代に指導者不在のなか信徒だけで信仰を続けた者をいう。一方、「かくれキリシタン」は、解禁後も禁教期に土着化した信仰を継続した人々を指す。この長崎県の分類そのものが、生月島の信仰を「キリスト教徒とはかけ離れたもの」と強調するカトリック系の研究者の見方に影響を受けたものだという。